食&酒

2026.05.13 15:15

中国をルーツに持つ一族が始めたラーメンチェーン「揚州商人」の独創性とは!?

ラーメンチェーン「揚州商人」の各店舗には、大正9年(1920年)に来日した曾祖父から始まる家族の物語を伝える掲示がある

千住大橋でラーメン店を開業

まず彼の曾祖父とはどのような人物だったのか。三好社長は次のように語る。

advertisement

「ひいおじいさんの名前は趙正餘(チョウ・セイヨ)と言います。彼は当時の日本を『開拓地』として捉え、これを好機と考え、一攫千金を夢見て揚州から来日しました。

中国では揚州は刃物の産地として知られており、まずは鋏を使う理髪業で身を立てました。情報が乏しい異国の地で安全を確保するため、家族や仲間ら十数人のコミュニティで移住したのが始まりです」
 
その後、曾祖父は日本人女性と結婚し、息子が生まれる。だが、時代は日中戦争に向かっていた。

「当時、ひいおじいさんは中国人であることを理由に、店舗襲撃などの迫害を受けますが、朝日新聞の取材を通じて『善良な市民であること』を訴え、社会的地位の回復に努めるなど強い意志を示しました。当時の取材時の写真も残っています。

advertisement
戦前に曾祖父の家族写真を撮ったのは、朝日新聞の記者だったという
戦前に曾祖父の家族写真を撮ったのは、朝日新聞の記者だったという

戦後は中華民国が戦勝国となったことで優先的に小麦を入手できたという背景もあり、息子である祖父と一緒に千住大橋でラーメン店『正華』を開業。食糧難の時代に1日1000人以上が来店するほど繁盛しました」

優先的に小麦を入手できたという三好社長の話は、敗戦後に食糧不足に陥ったGHQ統治下の日本に対するアメリカの慈善団体から始まった小麦の配給を指すようだ。

その経緯は町中華のルーツを調べたノンフィクション作家の北尾トロさんの著書『夕陽に赤い町中華』(集英社インターナショナル、2019年)で詳しく述べられている。この小麦の配給をきっかけに、その後、日本人の食生活を大きく変わり、ラーメン店が各地に急増していく。

2代目の趙錫文(チョウ・シャクブン)さんは日本人とのハーフで、父親譲りの経営の才をいかんなく発揮する。店を浅草に移転し、高級中華料理店へと業態転換。そのかたわら、パチンコ事業にも進出し、現在の価値で1日500万円の粗利を稼ぐほどの莫大な富を築いた。

さらに、高度経済成長期ににぎわった栃木県日光市の鬼怒川温泉に、1962年「ホテル正華」(1972年「鬼怒川ロイヤルホテル」に改称)を創業している。現社長が生まれる前に、曾祖父と祖父は亡くなっていることから、2人の話は父やその兄弟から聞いたのだという。

「彼らのバイタリティは今日の時代からは考えられないほど強かったのだと思います。また、2人は親子で商売敵として競い合うほど、強烈な自負心を持っていました。その結果、父の子供時代の一家は、兄弟1人ひとりにお手伝いさんが付くほど裕福だったそうです」

次ページ > 稲盛会長の厳しい指摘で「揚州商人」業態変換

文=中村正人 写真=中村正人、株式会社ホイッスル三好

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事