グエルの没後、遺族は土地をバルセロナ市に提供する。市は1922年に購入を決め、1926年、ガウディが路面電車に轢かれて世を去った同じ年に、グエル公園は市民のための公共公園として開かれた。1969年に芸術的記念物として認定され、1984年にはユネスコ世界遺産に登録された。市場が買わなかった構想を、都市が時間をかけて引き受けていった——これが、グエル公園のもうひとつの歴史である。
ここで思い返しておきたいのは、バルセロナの市街地では、まったく別の思想のもとに都市がつくられていた、という事実である。19世紀半ば、イルデフォンソ・セルダによる「拡張計画(エイシャンプラ)」が、近代バルセロナの骨格を準備した。あの世界に知られた碁盤の目。セルダは産業化する都市に、衛生、採光、交通を公正に行き渡らせるための合理主義的インフラを設計した。
売れなかった理想郷
一方、ガウディとグエルが丘の上で試みていたのは、そのグリッドとは真逆の論理であった。地形に従い、自然を奪わず、共同の眺望を保つ。市場の合理から見ても、社会階級のエチケットから見ても、時代の速度から見ても、二人の提案は明らかにずれていた。ずれていたからこそ、それは「辺境」だったのである。
ガウディの美意識は、装飾ではなかった。自然への観察であり、構造への探究であり、共同体への想像力であった。既存の木々を残し、地中海性の植生を選び、岩と一体となった橋脚をかける。眺望を独占せず、光を奪わない。美しさとは、表面を飾ることではなく、関係のあり方を整えることでもある——そのことが、色タイルの鮮やかさの底で、静かに主張されていた。

それから百年。
2026年、バルセロナはユネスコとUIAによる「世界建築首都(World Capital of Architecture)」として、世界の建築と都市をめぐる議論の舞台となっている。サグラダ・ファミリアでは、最も高い「イエス・キリストの塔」が外観上の完成に到達し、ガウディ没後100年にあたる6月10日には、教皇レオ14世臨席のもと、塔の祝福と落成の式典が予定されている。サグラダ・ファミリアからサン・パウ病院へ伸びる通りには、ガウディの名が刻まれ、カサ・バトリョ、カサ・ミラ、そしてグエル公園の色タイルに触れるために、世界中から人々が集まる。セルダの合理的なグリッドのうえに、ガウディの有機的な魂が重ねられて、バルセロナは唯一無二の都市となった。物理的な骨格を超えて、都市の精神の層にまで、丘の上の辺境で試みられた美意識が編み込まれているのである。

百年前、売れ残っていた夢が、いまや都市そのものの輪郭を描いている。このことが示しているのは、「天才は後世に理解される」という凡庸な物語ではないと思うのである。


