創業50年を迎えたアート引越センター。日本に「引越サービス業」を誕生させた寺田千代乃名誉会長は、女性起業家のパイオニアであるとともに、30年以上のキャリアを持つ馬主としても知られる。
気品ある競馬場での社交や、所有馬を通して得られた経営哲学、そして馬主であることの歓びについて伺った。
ーーアート引越センターは今年で創業50周年を迎えられました。現在のお気持ちはいかがですか。
寺田千代乃(以下、寺田):正直「早かったな」という印象です。1976年の創業時は主人を含めわずか7名でのスタートでした。今ではグループ会社を含め社員は8,400人以上と規模も大きくなりましたが、ここまで来られたのは、お客様はもちろん、従業員の力あってこそのことだと思っています。
ーー創業当時、引越しとは運送会社が土日に空いたトラックを使って副業的に行うものだったとか。どのようなきっかけで、引越しそのものがビジネスになると思いついたのでしょうか。
寺田:当時は、引越しは親戚や近所の手を借りて自分たちで行うのが普通でした。ちょうど私たちが引越サービス業を始めた頃、各家庭にピアノが普及し始め、家財道具が大型化していきました。一般の方が自分たちでピアノを運ぶのは難しいですよね。
さらに当時は団地が多く、階段は途中で折れ曲がり、荷物の角度をうまく変えながら運ぶのも一苦労。引越しのプロが求められていたのです。とはいえ、始めた当初は、引越しがこれほど一つの産業として認知されるようになるとは思いませんでしたね。
競馬場の美しさに驚いた
ーー経営者として長年のキャリアをお持ちですが、馬主としても30年以上にわたりご活躍されています。競馬との出会いを教えてください。
寺田:私が尊敬する経営者の方が馬主をされていて、その方からお誘いを受けたのがきっかけです。それまで馬に興味があったわけでもなく、競馬場といえば、昔の映画に出てくるような「耳に赤鉛筆を差したおじさんたちが集まっている場所」というイメージがありました。
そのため最初は少し気が進まなかったのですが、私を含めて10名の経営者仲間で京都競馬場を訪れて、驚きました。コースの美しさも含め、自分が抱いていたイメージとは全く違う。まさに「目から鱗」でした。レースも非常にエキサイティングで。
ーーその時お声をかけてくださった経営者とは、どなただったのでしょうか。
寺田:ホソカワミクロンの細川益男さんです。マチカネタンホイザ、マチカネフクキタルといった「マチカネ」が付く馬の馬主として有名でした。細川さんは、「日本の競馬界をもっと欧米に近づけたい、きちんとした人たちが集う気品ある場所にしたい」という夢をお持ちでした。
ちなみに現在、男性の馬主が競馬場でネクタイを着用しているのは、細川さんの提案がきっかけだそうです。特に「欧米の競馬の雰囲気、社交の場としての競馬場を日本にも実現したい」という細川さんの思いは、今も受け継がれています。
細川さんは競馬を知らない10人の経営者を集めて競馬場を案内くださり、「試しにまず、1頭お持ちになっては?」と。私を含め、そのうち、なんと5人が馬主になりました。細川さんの熱意に強く訴えかけられ、私も協力したいと思ったのです。
ーー実際に馬主になられて、どのような歓びがありましたか。
寺田:なんといっても自分の馬がレースで走る姿を見ることが一番の歓びです。私が初めて馬を持った当時は仕事が忙しく、なかなかレースを観に行けませんでした。ところが、ある所有馬のデビュー戦が札幌競馬場だった時に、遠いから最初行くつもりはなかったのですが、思い立って観に行きました。頑張る愛馬を、その場で応援したくなりましてね。そうしたら、その子が見事優勝。我が子の活躍を目にした歓びは、今でも忘れられません。
その子の名前はミスパンテール。のちに重賞(賞金の高い重要なレース)を4つも勝ってくれて、今はアメリカのケンタッキーでお母さんとして血を繋いでくれています。
「目が合った」仔馬が大活躍
ーー血統が繋がることも競馬のロマンの一つですが、馬主として欲しい馬を選ぶ際、どのような点を大切にされていますか。
寺田:血統だけでなく、縁や直感も大切にしています。ある時、調教師さんに誘われて北海道の日高にある牧場へ馬を見に行った際、目当ての仔馬ではない別の仔馬と目が合いました。
それがとっても可愛くて、私は「この子がいいです」と即決しました。あまりの決断の早さに周りは驚いていましたが、実はその子が、後に初めての重賞勝ちをプレゼントしてくれたディアチャンスという馬だったのです。
ーーその後、競馬に関わる全ての人が目標とする大レース、日本ダービーに所有馬を出走させるまでになりました。
寺田:私の所有馬でダービーに出走したリオンリオンという馬がいました。信頼する調教師さんが「どうしてもこれが欲しい」と惚れ込むほどの馬で、セリでも人気があって、どんどん値段が上がっていく。さすがに調教師さんも「もう、買うのはやめておきましょう」と止めてくださったのですが、この子も私と目が合ったのです。ですから、どうしても欲しくて頑張りました(笑)。
リオンリオンは引退後、種牡馬になりました。通常、大きなレースをいくつも優勝していなければ血を残していけないのが競馬の世界なのですが、私は「リオンリオンの子を自分で持ちたい」と強く思ったのです。そしてリオンリオンの子どもを所有しました。「夢を子に託す」ことは、競馬のロマンですね。
ちなみに今、私の所有馬にはマテンロウレオ、マテンロウゲイルといった「マテンロウ」の冠を名前につけています。これは会社をニューヨークに進出させたときに見た摩天楼が忘れられなくて。馬名に思いを託すのも、馬主の歓びのひとつですね。
競馬と経営 意外な共通点
ーーところで「競馬」と「経営」、このふたつの世界に共通点はありますか。
寺田:どちらも「一人ではできないチームプレイ」だという点です。競馬でいえば、牧場から始まり、持ち主が決まり、預け先である厩舎が決まり、ジョッキーが乗る。連携プレーなのです。会社経営も全く同じです。
なかでも私が最も大事にしているのは「信頼関係」と「ムード」。アート引越センターには全国各地に支店がありますが、コンスタントに成績が良い支店は、訪問してみるととにかくムードが良いのです。
ですから、顧客満足度はもちろんのこと、従業員満足度が大切。従業員の満足があってこそ、お客様に良いサービスができるのです。これは厩舎を訪れた時にも感じるものです。人間がつくる良いムードは、馬にもそのまま伝わります。
ーーその良いムードをつくるためには、何が必要なのでしょうか。
寺田:やはり信頼関係です。ただし、任せっきりにするのは、ほったらかしと同じ。任せながらも見守ることが大切です。
私は今でも、調教師さんや牧場の方と頻繁にお話しするようにしています。会社でも、数字はデータを見ればすぐに分かりますが、あえて支店に足を運ぶ意味は「今どうなの?」と声をかけ、現場の空気やスタッフの顔を見に行くことにあります。そのように、私は「信頼」と「ムード」の両輪を大切にしています。
それから私はいつも「運は、しっかりと準備をしているところにやって来る」と言っています。準備がなければ、運やチャンスが目の前に来ても気づきません。運が向いてきた時にしっかりつかめるよう、常に備えをしておくことが大切なのです。
ーー数々の新しい事業に挑戦されてきましたが、その「決断力」の源は何でしょうか。
寺田:あまり計算しすぎないことです。今は情報が多すぎるため、失敗を恐れて二の足を踏んでしまいがちです。そうではなく、自分が本当に「やろう」と思ったらまずはやってみる。そして、見込みがないと思ったら退く勇気を持つこと。一度走らせたものを止めて元に戻すのは大変ですが、その決断力が経営には必要です。
ーー経営者としてのこれからの目標をお聞かせください。
寺田:引越しが基幹事業ではありますが、今後は児童福祉事業にもさらに力を入れていきたいと考えています。保育だけでなく、発達障害のお子様や医療的ケアが必要なお子様の教室なども展開し、グループ全体で社会貢献をしていきたいです。これは単なるボランティアではなく、一つの事業としてしっかり自立させながら、世の中のお役に立っていく。従業員が「うちの会社は社会のためにこんな活動をしているのだ」と誇りを持てるような企業であり続けたいと思っています。
ーー馬主としてのこれからの「夢」は何でしょうか。
寺田:馬主になって30年が過ぎましたが、ここまで来たらやはり最高峰のGⅠレースを制覇したい。昔、細川さんが「30年目にして初めてGⅠを獲った」と仰っていた時は「大変なのだな」というくらいに聞いていたのですが、今ならその重みがわかります。夢を叶えたら、盛大にお祝いがしたいですね。
ーー最後に、馬主の世界に興味を持たれる方々へ向けてメッセージをお願いします。
寺田:競馬を通じて得られる学びや人との繋がりは、ご自身の経営哲学や人生観にも、必ず良い影響を与えてくれるはずです。馬主の世界では、年齢や性別を問わず、様々な方が集まり、関係性を築くことで、新たな視点や気づきが生まれています。
「1頭だけでも馬を持ってみようかな」という方が、もっと増えてほしいですね。馬の世界に少しでも興味を持ち、馬主になりたいと感じておられるなら、まずは実際に挑戦してみていただきたいです。
(聞き手:寺本章子)
寺田千代乃(てらだ・ちよの)◎アート引越センター名誉会長。兵庫県出身。1976年、夫・寺田寿男氏と共にアート引越センターを創業。日本に「引越サービス業」を確立させた。2002年、女性として初めて関西経済同友会の代表幹事に就任。
1994年、馬主登録。2007年、所有馬ディアチャンスがマーメイドステークス(GⅢ)を制し、初重賞制覇。
2026年4月30日現在、JRA通算161勝(うち重賞11勝)



