2007年、スウェーデンに移住した宮川絢子博士は、スウェーデン・カロリンスカ大学病院・泌尿器外科勤務の医師である。日本泌尿器科学会専門医取得後、スウェーデンで泌尿器外科専門医を取得している。
以下は宮川博士による寄稿である。
筆者は海外在住が20年近くになる。文章を書くことには関心があるが、言語学や日本語学の専門家ではなく、言語についてはあくまで素人である。在外邦人として日常的に日本語から距離を置いているせいか、帰国するたびに耳に入ってくる新しい言葉や言い回しに、以前より敏感になっている自分に気づく。実際、「風呂キャン」、「〇〇界隈」には当初とまどったものだ。
文法的には誤りだとされてきたはずの用法が、いつのまにか市民権を得ている━━それでもなお、どうしても引っかかってしまう日本語の言い回しについて、ここで少し考えてみたい。
丁寧さが時制をずらす
ファストフード店で注文を終えたとき、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」と確認され、一瞬、言葉に引っかかった経験はないだろうか。意味は通じるし、対応も丁寧だ。しかし、頭の片隅に小さな棘のようなものが残る。最近、いたるところで耳にする「こうしないとだね」という言い回しにも、同じ種類の違和感を覚える人は少なくないはずだ。
こうした表現は、ともすれば「日本語の乱れ」や「若者言葉」として一括りにされがちである。しかし、それで片づけてしまうのは早計だろう。これらの言い回しを注意深く見ていくと、日本語そのものが壊れているというより、私たちが言葉に背負わせる役割が、この数十年で静かに変わってきたことが見えてくる。
「よろしかったでしょうか」が不思議に聞こえる理由は、文法的には単純だ。過去形である「よろしかった」が、現在進行中の注文確認に使われているからである。本来であれば、「こちらでよろしいでしょうか」や「以上でよろしいですか」で十分なはずだ。
それでもあえて過去形が選ばれるのは、断定を避けたい、判断の主導権を相手に委ねたい、という配慮が働いているからだろう。
この種の表現が広まったのは、1990年代後半から2000年代にかけてと考えられている。接客の現場ではマニュアル化が進み、同時に「クレーム社会」と呼ばれる空気が醸成された。言い切らないこと、責任をこちらに引き寄せすぎないことが、接客における重要な技術とされたのである。
過去形は、そのための便利な道具だった。現在形で尋ねるよりも、時制を一段後ろにずらすほうが、なぜか腰が低く、柔らかく聞こえる。文法的な整合性よりも、相手にどう響くかが優先された結果、日本語の時制は後景に押しやられることになったのかもしれない。



