欧州

2026.04.29 16:15

スウェーデン在住20年の日本人医師が、一時帰国してイマドキ日本語に思うこと

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実はスウェーデン語にもイマドキ変化?

重要なのは、これらの表現を使う人たちが、日本語をぞんざいに扱っているわけではないという点だ。むしろ逆で、相手を不快にさせないため、関係を壊さないために、ぎりぎりまで言葉を丸めている。その結果、文は短くなり、時制は曖昧になり、結論は共有された空気の中に投げ出される。

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一方で、こうした言い回しに違和感を覚える人がいるのも自然なことだ。

この種の違和感は日本語に固有のものではなく、時代の流れにおける言葉の変化は他の言語にも観察される。

typ, liksom

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sjukt bra

Det är nice 

googla, streama

例えばスウェーデン語でも近年、会話のつなぎとして使用する、 typ(「なんか」)や liksom(「いわば」)が頻繁に挿入されたり、強調語である sjukt(本来は「病的に」の意)が sjukt bra(「めちゃくちゃ良い」)のように意味を強調して用いられる。

また、Det är nice (It is nice)のように英語をそのまま組み込む言い方や、googla, streama といった外来名詞の動詞化も広く定着している。

これらは文法的な厳密さという観点からは逸脱や冗長と見なされ得るが、実際には言い方をやわらげたり、気持ちの強さを伝えたり、相手との距離を縮めたりする役割を果たしている。その点で、日本語における過去形の丁寧化や「〜しかない」といった言い回しとよく似ている。

気になる日本語は、たいてい誰かの善意から生まれる。そして、その善意が積み重なった先で、別の誰かに小さな引っかかりを残す。日本語はいま、その往復運動の只中にある。

では、どう話せばいいか

すべてを昔の形に戻すことも、違和感を覚えながら黙って受け入れることも、現実的ではない。一つの手がかりは、「曖昧さをなくす」のではなく、「曖昧さの置き場所を意識する」ことにある。
判断や責任の所在が重要な場面では、「こうしないとだね」よりも、「こうしないと後で困ります」「ここは先に対応しておきましょう」と、結論を言葉にしたほうがよい場合が多い。丁寧さと明確さは、必ずしも対立しない。

一方で、日常会話の中では、多少の省略や過去形が人間関係の潤滑油として機能することもある。「よろしかったでしょうか」が違和感なく受け取られるのは、そこが確認以上の意味を持たない場面だからだ。

言葉は、正しさだけで使われるものではない。しかし、配慮だけで使われ続けると、疲れてしまう人が出てくる。私たちはいま、相手を傷つけない日本語と、自分をすり減らさない日本語のあいだで、微妙なバランスを探っている。その手探りの感覚を失わないことこそが、変わり続ける日本語と付き合っていくための、ささやかな逆提案なのだ。


宮川絢子(みやかわ・あやこ)◎スウェーデン・カロリンスカ大学病院・泌尿器外科勤務。平成元年慶應義塾大学医学部卒業。スウェーデン泌尿器外科専門医、医学博士、カロリンスカ大学およびケンブリッジ大学でポスドク。2007年スウェーデン移住。スウェーデン人の夫との間に男女の双子がいる。訳書に『学際的パンデミック対策: 新型コロナウイルスと戦ったスウェーデン元国家疫学者の証言』(アンデシュ・テグネル、ファニー・ハーゲスタム共著、法研刊)がある。

文=宮川絢子 編集=石井節子

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