ある夜、私は手に汗握る悪夢に閉じ込められていた。吹雪が人里離れた山間部をのみ込み、視界も路面も奪っていく。スノータイヤはない。四輪駆動でもない。安全に停車できる場所もない。足元の道路は氷の板と化し、ハンドルをわずかに動かすたびに車が滑った。それでも進むしかなかった。前方には、急勾配で曲がりくねった容赦ない山道のカーブが約50km続いていた。
私は、握りしめれば路面に繋ぎ止められるかのように、両手でステアリングを固定した。心臓が激しく脈打つ。そして、ほとんど瞬時に、嵐を切り裂くように別の声が割り込んできた。裁きの声だ。「これで満足か、ばか者。やってしまったな」
鋭く、容赦なく、そして聞き慣れた声だった。
だが、それがさらに大きくなり、より破壊的な方向へと暴走する前に、別のことが起きた。私はその声に気づいたのだ。恐れの思考が生まれるたびに締め付けを強める、絡まった毛糸玉のように、その声が私に巻き付いていることに気づいた。その「気づき」の瞬間、私は意図的に切り替えを行った。
深呼吸をした。そして会話の内容を変えた。自分に話しかける際、自分のファーストネームを使い、まるで他人が私に話しているかのようにしたのだ。この手法は十分な距離を生み、落ち着きと自信をもたらす。
「よし、ブライアン……焦るな。大丈夫だ。きっと何とかなる。呼吸しろ。そうだ、車線を外すな。うまくやれている」
外部の状況は何ひとつ変わっていない。氷はそこにある。危険は現実だ。だが内側では、すべてが切り替わった。パニックが和らぎ、集中が研ぎ澄まされた。私は安定を取り戻した。車だけでなく、自分自身も。
そして、私は無事に家にたどり着いた。
声を変えれば、結果も変わる
嵐のただ中で自分にどう語りかけたか、それが帰宅できた理由だと私は考えている。何十年もの間、独り言を言う人は不安定だとか「おかしい」として退けられてきた。だが今、科学はまったく異なることを示している。
セルフトーク(自分に語りかける独り言)は癖ではない。私たちが持つ最も強力な心理的ツールのひとつだ。自分への語りかけ方次第で、不安や疑い、感情的反応に閉じ込められることもあれば、自分を落ち着かせ、強くし、最も困難なキャリアの状況でも乗り越える助けとなることもある。
研究者たちは、否定的で生存本能に基づくセルフトーク、批判し、最悪の結末を想定し、視野を狭めるタイプが、不安や抑うつを増幅しうることを突き止めている。思考は狭まり、脅威にとらわれたマインドセットに固定される。



