ところで、この物語にはもうひとつ、つけ加えておくべき皮肉がある。
2026年2月末、イラン戦争の激化でホルムズ海峡が事実上封鎖され、米国のガソリン価格は約33%急騰した。メーカー各社がEV投資を引き揚げたまさにその時、消費者は燃料費に悲鳴を上げ、EVへの関心が再び急上昇し始めたのだ。
だが、政治の時間と工場の時間は違う。大統領令は一夜で署名できるが、製造ラインの構築には数年かかる。一度解体したサプライチェーンは、市場の空気が変わっても数週間では戻らない。ホンダが2兆5000億円を飲み込んだ直後に「やはりEVが必要だった」という声が高まりつつある皮肉な現実は残酷だ。
「載せる場所」を失ったソフトウェアの行方
AFEELAという「車両そのもの」は消えた。だがSHMが即座に解散されるわけではない。ソニーとホンダの共同声明は「JVの設立趣旨に立ち返り、SHMのあり方を3社で協議する」としている。
SHMの累積損失は小さくないが、ソニーグループ全体から見れば致命傷ではない。通期営業利益1兆5400億円の企業体力があれば、ソフトウェア軸での再編に踏み出す余地は残されている。
最も現実的な道は、ソニーが完成車メーカーの野望を棚上げし、ホンダのハイブリッド車や次世代モビリティ向けのソフトウェアプロバイダーへと軸足を移すことだろう。AFEELA向けに蓄積されたUnreal Engineを活用したインフォテインメント、Azure AIのパーソナルエージェント、HRCのエンジン音再現に象徴されるデジタルエンタテインメント群は、BEV専用の技術というわけではない。ハイブリッド車にも、将来の別のプラットフォームにも載る。
華やかさには欠ける。だが、鉄と電池と塗装のリスクを丸ごと背負う車両プロデュースから、自分たちが本当に強い領域へ寄せていくのは、むしろ自然な判断だ。アップルのEV「Project Titan」中止との類似を指摘する声があるが、本質は違う。アップルは自分で降りた。SHMは梯子を外された。合弁という構造そのものが、外の環境が急変したとき最も脆いのだ。
キャンバスのゆくえ
中国と欧州ではEV化が着実に前へ進み、米国だけが逆回転している。政策ひとつで景色がこれほど変わる産業も珍しい。
真っ白なキャンバスの上に、デジタルコンテンツでパーソナライズが加わり、動かすほど、移動するほど思い出が溜まって、その人自身に染まっていく。AFEELAが描こうとしたその絵は、モビリティとの新しい付き合い方として、いまなお示唆に富む。だが、その実験は、受け皿となるハードウェア基盤が安定し、事業の見通しが長期にわたって立っていてこそ成り立つものだった。
キャンバスは破られてしまった。だが、そこに描かれるはずだった絵の構想は、別の器に載せられて、いつか日の目を見るのかもしれない。


