カルチャー

2026.03.19 14:15

直島という「問いの生態系」| 宮田裕章の辺境未来論 第4回

問いが重なり続ける構造

この在り方は、資源を磨き上げることで発展してきた地域モデルとは異なる道を示している。その違いが、私の目には「辺境同士の共鳴」として映る。直島は孤立した成功事例ではない。ニセコや金沢が固有の資源を磨き上げる道を選んだとすれば、直島が示したのは、資源を持たない場所でも問いの生態系を育てることができるという、別の可能性である。その可能性は、同じように問いを抱えながら答えを持てないでいる地域と、方法論ではなく価値観の水準で響き合っている。直島を参照する意味は、成功モデルの移植ではなく、問いの立て方の共有にある。

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だからこそ私たちは、2026年3月、ウェルビーイング学会の学術集会をこの島で開催することにした。ウェルビーイングという概念は、もはや論文や指標だけでは語れなくなっている。人はどのような環境で、どのような関係性のなかで「よく生きる」と感じるのか——その問いを考えるとき、廃棄物処理の記憶を内包しながら問いの生態系へと変容してきた直島ほど、ふさわしい場所はない。

直島新美術館(安藤忠雄建築)
直島新美術館(安藤忠雄建築)

後続する多くの地域芸術祭がしばしば陥る消費のサイクルとは異なり、直島ではアートが生活から切り離されていない。地中美術館では、安藤忠雄が建築ごと地下に埋め込んだ空間の中で、モネの睡蓮やジェームズ・タレルの光と向き合うことになる。地上の速度から切り離されたその場所では、光の変化を「見る」のではなく、時間そのものの質が変わる感覚として「受け取る」。問いは言語化される前に、身体に届く。

豊島美術館もまたマスターピースだ。西沢立衛による柱のない水滴形の空間に、内藤礼の「母型」が湧き出す水滴を床に描く。儚く小さな水滴が集まり、分かれ、また集う。その動きを、入場を絞られた数十人が、互いを群衆ではなく一人ひとりの人間として認識しながら、ともに見つめる。いのちと世界を、孤独に「閉じて」感じるのではなく、見知らぬ他者と「開いて」感じる体験——これは、ウェルビーイングを「個人の状態」ではなく「関係の中で立ち上がるもの」として捉え直す、最も具体的な場のひとつだ。

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豊島美術館外観
豊島美術館外観

そしてこの体験を可能にしているのは、豊島という島そのものの文脈でもある。かつて産廃に汚染された土地に再生された棚田を望む丘の上で、水が湧き出す作品と向き合うとき、観る者は美術館の内側と外側を同時に感じることになる。消費としての体験ではなく、場所の記憶との対話が促される。

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文・写真=宮田裕章

連載

宮田裕章の「辺境」未来論 ──Resonant Regions

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