リーダーシップ

2026.03.06 11:41

優れたリーダーは共感だけでは終わらない。チームの感情を受け止める「容器」をつくる

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ある会議を想像してみよう。会議が終わったあと、廊下でもSlackでも給湯室でも、会話の洪水が起きることを高い確度で予測できるタイプの会議である。あるチームが、自分たちの部門が再編される——またしても——と知らされたばかりだ。公式の会議の場で、リーダーは教科書どおりのことをすべて行う。困難を言葉にし、「これは落ち着かない話だと思う。皆さんの懸念は受け止めていると知ってほしい」と伝える。間を置き、質問を促す。

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誰も話さない。

誰かがスケジュールに関する事務的な質問をする。会議は時間どおりに終わる。丁寧で、整然としていて、そして完全に無意味だ。

あなたもこの会議に出たことがあるはずだ。私も同じだ。次に起きることは決まっている。本当の会話は別の場所で起きる。質問を促しても、リーダーが一瞬だけ認めた感情は、行き場がないまま、そうした「本当の」会話の中で吐き出される——前回の出来事から持ち越された感情の上に積み重なるかたちで。

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私がよく目にするリーダーシップの典型がこれだ。リーダーは困難な感情を認めるが、それを場に招き入れるところまで踏み込まない。認められることは確かに救いになる。しかし、それだけでは足りない。ここは「共感的リーダーシップ」の範囲を超えている。リーダーが人々がこうした難しい感情を消化し、統合していくことを支えなければ、その感情は静かな障害物になり得る。

私たちは「感情の不況」の中にいる

職場は、記憶にある限りで最も持続的な感情的圧力にさらされている。戦略転換、AIによる代替、経済の不確実性、レピュテーションリスク。強度は一時的なものではない。構造的であり、加速している。

2025年11月にFrontiers in Psychologyに掲載された、査読付きの研究で、Joshua Freedmanらは166カ国の成人28,000人の感情知能データを分析した。感情知能の世界平均スコアは2019年から2024年の間に5.79%低下し、測定した8つの能力すべてで統計的に有意な低下が見られた。ウェルビーイングは5.3%下がり、楽観性は約5%低下した。Freedmanはこれを「感情の不況(emotional recession)」と呼ぶ。平均的に、人々がより不安定になり、共感とのつながりが弱まり、自分が何を感じているのかを正確に見極める力が落ちている、持続的な感情の枯渇期だ。

単に気分が悪くなっているという話ではない。感じていることを理解する能力そのものが失われつつあり、その影響は士気をはるかに超えて組織に及ぶ。

看護師が教えてくれた組織と不安のこと

1960年、Isabel Menzies Lythという研究者が、ロンドンの教育病院で看護サービスの調査を依頼された。病院は看護学生の離職率が高く、業務配分の再設計の支援を必要としていた。だが、彼女が見いだしたのは、はるかに大きなものだった。

看護師は、日々の苦痛や死に触れること、見知らぬ人との身体的な密接さ、慰めと治癒に対する不可能な要求により、並外れたストレスにさらされていた。この点は驚くことではない。Menzies Lythが驚いたのは、組織そのものがそのストレスを中心に再編されていたことだ。病院は、絶え間ない担当のローテーション、作業の細分化、患者の人格の剥奪、硬直した階層的なチェック体制といった、精緻な仕組みを発達させていた。それは標準的な運用手順に見えたが、実際には別の目的に奉仕していた。すなわち、看護師を仕事との感情的接触から守るためである。仕組みは不安を管理可能な距離に保ったが、代償があった。防衛そのものがストレス源になったのだ。優秀な看護師が去ったのは、仕事から意味を与えていたもの——中心にある人間的なつながり——が奪われたからである。

Human Relationsに掲載されたMenzies Lythの研究は、組織心理学で最も引用される論文のひとつになった。65年後のいま読むと、現在組織で起きていることの診断マニュアルのようにさえ見える。不安の具体的対象は変わった——患者の苦痛ではなくAIによる代替や再編——だが、防衛のパターンは見覚えがある。感情的現実が耐えがたくなると、組織はそれを避ける仕組みをつくる。その仕組みは進歩のように見える。承認レイヤー。コンプライアンス手続き。コミュニケーション戦略。チェンジマネジメント計画。しかし機械仕掛けの下では、不安が依然として現場を動かし、最もそれに気づく人が去っていく。

回避が構造になるとき

多くのリーダーは、意図的にチームの難しい感情を避けているわけではない。多くは最善を尽くして向き合おうとしている。だが、感情を認めることと、それが処理される条件をつくることの間にはギャップがあり、そのギャップには代償がある。

Jonathan Haidtは『The Happiness Hypothesis』で、組織生活を理解するうえで有用なイメージを提示している。彼は心を、ゾウの背に乗る騎手にたとえる。騎手——理性的で計画する自己——は手綱を握り、自分が指揮していると思っている。だが、ゾウ——感情的で本能的な自己——が力を握る。騎手とゾウの意見が一致すれば、システムは見事に機能する。一致しなければ、勝つのはゾウだ。そしてその差は圧倒的である。

もちろん、ゾウは重要な仕事をしている。両者が代表する人間を守っているのだ。ゾウは、難しい感情を引き起こしそうなものを避けて歩くことを学ぶ。引き金が対処されない——あるいは、もっと悪いことに強化される——と、ゾウはそれを避ける深い溝を掘り、その道筋は固定化される。

このイメージを組織生活に拡張し、Menzies Lythから得た知見を重ねよう。ある出来事が集団全体に難しい感情を引き起こすと、ゾウたちは群れをなし、引き金になり得るものを集団的に回避する。こうした回避のパターンが、人々の関わり方、どの話題が持ち出して安全か、どの会議が形式的か、どの意思決定が本当の感情が表面化しないよう密かに行われるかに埋め込まれていく。溝は文化として硬化し、ときにポリシーとして成文化される。

これは、精神分析家Wilfred Bionの研究を土台にしてきたグループ・リレーションズ理論家が、何十年も観察してきたことだ。集団は不安に対する無意識の集合的防衛を発達させる。悪意ではない。自動的なのだ。防衛が固着すると、組織が見たり、語ったり、実行したりできる範囲が制限される。可能性の幅が狭まる。痛みと恐れは個人の認知も組織の能力も収縮させる。視界は悪くなり、選択肢は減り、適応が必要な局面ほどシステムは脆くなる。

それでもリーダーがやり方を知らない理由

パンデミックは、職場で感情を扱うことへの一時的な流暢さを私たちに与えた。私たちは「その人全体」について話した。オンライン会議で涙が出ることも受け入れた。「本当のところ、どう?」と尋ね、時にそれを本気で尋ねた。苦痛の源が共有され、目に見えていたからこそ配慮もできた。全員に一度にのしかかる世界的危機だったのだ。

いま、何かが変わった。感情の強度が弱まったわけではないが、その性質は変化した。パンデミック期の難しい感情は、仕事を阻害していた要因——ロックダウン、病気、育児の危機——と同じ力から生じていた。リーダーとチームは不快さにおいて足並みがそろっていた。いまは、感情が仕事そのものから生まれている。陳腐化、組織再編、学び直し、再配置。脅威はもはや外部ではない。組織の稼働の布地に織り込まれている。「一緒に乗り切ろう」から「次の一撃はどこから来るのか」へと変わった。

その変化の下には、さらに厳しい真実がある。そもそも多くのリーダーは、感情を扱う方法を教わっていないのだ。パンデミック中も感情の会話はあったが、それは意図的なリーダーシップ実践としてではなく、危機管理の霞の中で起きていた。スキルの移転はなかった。筋肉の記憶もない。急性の危機が過ぎると、困難とともに座る意思もまた去った。残ったのは、より大きく、より速く、より拡散した混乱であり、それが生む感情を扱う方法を依然として持たないリーダーたちである。

必要なのは視点の転換だ。職場の感情的強度は、外部要因として対処するものではない。運用条件の一部である。中断として扱えば、必ず地下に潜り、誰も望まないかたちで組織を形づくる。

「容器」とは実際に何か

ある経営チームが、人員削減に向けた準備をしている場面を思い描いてほしい。事業上の理由は明確で、数字も検証済みだ。残るのは実行である。誰を、いつ、どのように伝えるか。CEOは役割分担とタイムライン設定に移ろうとする。

だが部屋の空気はどこかおかしい。全員がロジスティクスに集中し、必死にプロフェッショナルであろうとする人の慎重で切り詰めた言葉遣いで話している。何人かが頭の中で考えていることを、誰も口にしていない。削減対象の中に尊敬する同僚がいること、基準が恣意的に感じられること、そしてこの背後にある戦略が正しいのか確信が持てないこと。ある人は、自分のチームが次ではないかと心配している。

ここで誰かが議題をいったん止めて、こう言う場面を想像してみよう。「計画を詰める前に、10分だけ、この部屋にいる人たちにとってこれが何を引き起こしているのか話してもいいだろうか?」

その会話がなければ、どうなるか。口にされなかった感情は消えない。固まっていく。戦略に疑念があるリーダーは反論するのをやめ、静かにそれを損なうような行動を取り始める。罪悪感のある人は、残ったチームに過剰に埋め合わせをし、聞くべき厳しい真実から守ろうとする。恐れている人は、微妙に政治的になり、用心深くなり、問題を早期に指摘しづらくなる。いずれも小さな歪みだ。だが合わさると、その後に続くあらゆる難しい会話の質を劣化させる。チームが崩壊するわけではない。ただ、最も必要な能力——圧力下でも明晰に考えること——が、少しずつ下手になっていく。

さらに下流の影響がある。解雇後の悲嘆と恐れを抱えた従業員は、組織の優先順位や基準について相反するシグナルを受け取る。そして、ある話題はいまやタブーになったという、紛れもないシグナルも受け取る。ここからゾウたちは文化を変え始める。

今度は、10分の会話を実際に行う場合を想像してみよう。セラピーでも、不満の言い合いでもない。ただ、その場にあるものを正直に棚卸しするだけだ。感情が消えるわけではない。だが、名づけられ、外在化される。チームはそれに駆動されるのではなく、それを見られるようになる。

計画に戻ると、思考はより広く、防衛的でなく、トレードオフについてより誠実になる。痛みが減るわけではないが、収まりは増す。リーダーは組織の他の人々に対して、より自信を持って明確に向き合える。行動も整合する。自分たちのチームが一緒に処理する時間さえつくるかもしれない。

それが「コンテインメント(containment)」である。抑圧ではない。区分けでもない。セラピーでもない。ここでいうコンテインメントとは、難しい感情に名を与え、それが何を示しているのかを探るための、意図的で規律ある招待である。容器とは、人々がシステムを氾濫させることなく感情を外在化し、検討できる関係的空間だ。揮発性の物質を安全に扱うための実験用グローブボックスのような、制御された環境だと考えるとよい。

目的は、感情表出それ自体ではない。認知の射程——明晰に考え、選択肢を検討し、圧力下で良い意思決定を行う能力——を守ることにある。

この考えには深い根がある。1940年代から1950年代にグループに取り組んだBionは、容器と中身(container-contained)の関係——集団やリーダーが不安を、ただ反応として演じるのではなく思考できる形で保持する仕方——を述べた。Donald Winnicottの「ホールディング環境(holding environment)」の概念も、子どもの発達において似たことを描いた。すなわち、不快が破局にならずに経験できる、安全で信頼できる空間である。Ronald Heifetzはこれらの考えをリーダーシップ理論に取り入れ、適応課題のための「ホールディング環境」——人々が吸収できる速度で困難な現実に向き合える空間——という概念を提示した。

これらに共通する糸はこうだ。感情がコンテインされると、それはデータになる。コンテインされなければ、構造になる。

始めるための3つの材料

容器をつくるのに、セラピーのバックグラウンドや性格の作り替えは要らない。必要なのは3つだ。契約、少量の脆弱性、そして質問である。

契約は境界を設定する。ここがどのような空間で、どんなルールがあるのかを集団に伝える。例えば、こうでよい。「このテーマには緊張があると感じている。会議の最後の10分、この緊張とともに座る時間にして、解決を期待しないことに合意できるだろうか?」文化によっては、暗黙の契約がすでに存在する場合もある。多くの組織ではそうではない——そして契約を名づけること自体が、これから何か違うことが起きるというシグナルになる。

少量の脆弱性は、正直でいても安全だと集団に伝える。脆弱性が異物に感じられる文化では、少しで大きな効果がある。最小有効量を探すこと。「正しい答えが何か分からない」でもよいし、「わくわくする一方で不安もある」でもよい。「痛みのある喪失だった」でもよい。オープンさを演じるのではない。この部屋では人間の反応の全域が許されていると知らせるのだ。

質問は、外在化への招待である。「何が湧いてきている?」 「この変化の何がつらい?」 「次に進む話をする前に、私たちは何を置いていく?」 「疑問を口にするのがリスクだと感じるのは何?」 適切な質問は何も解決しない。ただ、扉を開く。

少なくとも最初は、その扉をくぐらない人もいる。ここで重要になるのがリズムである。声に出して処理することを習慣にし、他者も参加できるよう招く。小さく、予測可能な瞬間を積み重ね、「言ってよいこと」の範囲を広げていく。初めて「言われていないことは何か?」と尋ねて沈黙が返ってきても、それは普通だ。5回目には誰かが答える。そしてチームの仕事の質は変わる。

戦略上の違い

難しい感情がコンテインされ、処理されると、人と組織の機能の仕方が変わる。議論が長く開かれたままでいられる。解釈の寛容さが保たれ、最悪を想定する代わりに相手に善意の余地を与えられる。学習は加速する。言えないことを管理するためにエネルギーの半分を使わずに済むからだ。リスクはより賢くなる。組織が見て見ぬふりをすることに合意したものではなく、実際に起きていることに基づくようになる。

これは「やわらかさ」ではない。能力である。私が繰り返し立ち戻る言葉は「認知の射程(cognitive range)」だ。リーダーやチームが状況を見るための開口部の広さである。未処理の感情はその開口部を狭める。コンテインメントはそれを広げる。

これから数年で最も速く適応する組織は、最良の戦略資料や、最も洗練されたAI実装を持つ組織ではない。共感的リーダーシップを超えた場所へ進む組織である。物事が厳しくなったときにリーダーが場を保持でき、厳しさが検討される——静かにシステムを組み替えることを許さない——そうした組織だ。

forbes.com 原文

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