黒川公晴氏。外務省所属の外交官としてワシントンDC、イスラエル/パレスチナに駐在。2013年に帰国後は安倍晋三首相や岸田文雄外相の英語通訳を務める。その外務省を12 年後に辞めた後は仲間たちと福岡・糸島に拠点を移して起業、日本企業向けのリーダーシップ開発プログラムを展開しているという異色の「元外交官」だ。
元総理通訳が糸島で「適応型リーダーシップ」展開の理由。外交と組織の意外な接点 に続く今回は、黒川氏の通訳(外交官)時代を振り返る。要人通訳準備の具体的内容、外交官時代「歴史を目撃した」と感じた瞬間、そして通訳と会議ファシリテーションの共通点とは。
外交は一貫性が重要─「予行演習」も欠かさない
編集部(以下、─):総理の通訳は、実業の世界と比べて何がいちばん難しいと、今振り返って思われますか。
黒川公晴氏(以下、黒川):やはり国と国の関係なので、その会議のアジェンダだけ理解すればいいのではなく、相手国との間にどんな歴史があり、最近どんな要人の往来があり、どんな二国間の課題があって、それぞれの立場がどうなっているかを理解しておく必要があります。
あるいはもっと広く、国連のような国際舞台でこの2カ国の利害がどう一致しているのか、要人同士の個人的な関係はどうかまで含めての背景を、緻密に勉強しておかないといけません。
外交は一貫性が非常に重視されます。前例も大事ですから、過去の発言や方針からズレるとまずいことになる。そこは気をつけるポイントですね。
━━外務省の中に、過去の会議での発言記録のような資料があるのですか。
黒川:あります。例えばイギリスと外相会談をやるとなったら、日英関係を担当する課からこれまでの要人会談の記録をもらって勉強します。1時間の会談で数百ページは読み込みます。トップレベルでの会談は、基本的に事務レベルで積み上げてきた土台の上で行われるので、日々その担当課の業務に携わっていないとわからないことがたくさんあるんです。
━━通訳の準備でいちばん時間をかけるのは、歴史の理解ですか。それとも、「通訳対象が言いそうなこと」や「語彙」の調査でしょうか。
黒川:まず政府間でどんな懸案や協力項目があるかを調べます。そのうえで、最後はやはり個人のレベルですね。相手の趣味嗜好やこれまでの発信内容から、何を言いそうなのかを調べていく。その下調べにいちばん時間をかけます。
日本側として言うべきことはある程度決まっているので、それを自分の訳しやすい表現で一回全部英語にしておいて、何度も声に出して読んで予行演習をします。声に出していくと「ここの単語はつなげて言いづらいな」といったことが出てくるので、意味を損なわない範囲でちがう言い方がないか何度も推敲する。予行演習は徹底的にやりますね。
録音や録画データに徹底的にあたる
─聞き取りにくい英語を話される方もいましたか。
黒川:いましたよ。私たちが慣れ親しんでいるイギリス英語やアメリカ英語なんて、英語話者の中ではごくごく少数派ですから。アフリカの方やインドの方の発音など、難しいことはありました。

だからこそ準備なんですよね。要人になればなるほど過去の発言や動画のデータ量が多いので、調べる材料がある。話のテーマと発言の傾向がわかっていれば、現場で何を言っているかわからないということはありません。過去の会見やスピーチの動画を徹底的に見て、その人の発言や発音の癖を調べます。1時間の会談に対して、準備に5、6時間かけますね。



