栗林:シーンをつくれるクリエイターとそうでないクリエイターの違いって何でしょう。意識の差ですか?
遠山:意識の差は絶対ありますね。世の中に向けた意識もそうですが、周りとのコミュニケーションにもその差は表れます。シーンをつくろうとするのに、部屋にこもって作品をつくるだけだと無理じゃないですか。アーティストだけではなく身近なスタッフとか彼らをサポートする事業者も含めて世界観を共有してやっていかないとダメで。みんなで文化祭をやっている感じといえばいいのかな。
僕が起業するきっかけになったTohjiはまさにそういうタイプの才能が初期からずば抜けていました。彼にとって音楽は手段でしかなくて、周りに同じ問題意識を共有しているコミュニティがあり、自分のメッセージを多様なメディウムを通じて作用させようという視点をもっていた。国内での活躍は言わずもがなですが、かなり初期の段階でMura Masaの来日公演をきっかけにコラボレーションが実現したり、最近ではSkrillexとのコラボ曲が彼の神戸公演で披露されました。もちろん僕らもTohjiとそのコミュニティの面白さが届くように土台は整えましたが、本質的には彼のブレない美意識に彼らが共振したという部分が大きい。フィーを積めばコラボが実現するような相手じゃないわけで、対等なバイブスで通じ合って関係性を築き、国境を超えた人間関係やシーンがオーガニックにつくられていく。こういった視点をもったクリエイターが今必要なんだろうなと。あとは海外勢と対等にわたり合う心意気も大事。日本人として媚びない姿勢というか。
屋代:僕もバイブス重視派です。「小説を音楽にする」というコンセプトでYOASOBIを始めたときも“世界に向けて”なんて1ミリも考えていなかったし、今も「この人と何かやれたら面白い」という発想でプロジェクトがスタートします。
プロジェクトがある程度進んでいくと、クリエイター自身が深化して前人未踏の領域に達していくか、チームみんなでシーンをつくっていくかという選択肢が出てくるのですが、僕はシーンをつくって結果的にプロジェクトを大きく、持続可能なものにしていくというほうを選んでいるのかもしれません。
シーンをつくるぞとなったとき、メジャーには規模感を出せるメリットがあります。規模感は人が動く理由になるから、第三者、さらに外の第四者が動く理由づくりをやりやすい。そこが我々の強みです。


