応用範囲を医療・農業・気候分野にも広げることを目的に、IGIを2015年設立
ダウドナは2015年、カリフォルニア大学バークレー校、同サンフランシスコ校、同デービス校の連携による共同プロジェクトとしてIGIを設立した。CRISPRの応用範囲を医療・農業・気候分野にまで広げることを目的とするIGIは、李嘉誠基金やチャン・ザッカーバーグ・イニシアチブといった慈善団体からの資金提供を主な財源としており、現在の年間予算は、約4000万ドル(約62億円。1ドル=155円換算)に上る。
IGIが設立を支援した企業は31社、評価額計約1.4兆円、従業員数2500人超
これまでにダウドナとIGIは31社の設立を支援してきた。それら企業の評価額は合計で約90億ドル(約1.4兆円)に達し、従業員数は2500人を超える。ダウドナ自身もそのうち7社の共同創業者だ。こうした実績を踏まえ、フォーブスはダウドナを「Forbes 250: America's Greatest Innovators(米国で最も偉大なイノベーター250人)」の1人に選出した。
「ジェニファーはいつも冷静で集中力を保っている。そして、いざという場面になると特殊部隊の指揮官モードになる。そして、こう言うんだ。『皆さん、これが今回のミッションだ。なぜそれが正しいのか、そしてどうやってやり遂げるのかを説明しましょう』とね」。カリフォルニア大学バークレー校で分子治療学を教え、IGIで治療分野の研究開発を統括するフィョードル・ウルノフはそう語る。
株価の急落などに見舞われ、CRISPRの商業化は極めて厳しい状況
しかしこれまでのところ、CRISPRの商業化は極めて厳しい状況にある。この分野の企業は軒並み、研究の行き詰まりや人員削減、株価の急落に見舞われてきた。ダウドナの研究室から最初に誕生したスタートアップ、カリブー・バイオサイエンシズは2011年に設立され、10年後に大きな期待を背負って上場したが、その後株価は91%下落し、現在の時価総額は約1億5000万ドル(約233億円)にとどまる。
ダウドナが科学面の創業メンバーの1人Editas(エディタス)は、2024年12月に従業員の65%を削減し、主力だった鎌状赤血球症向けの遺伝子編集プログラムを棚上げした。象徴的な破綻の事例としては、MITからスピンアウトしたTome Biosciences(トーム・バイオサイエンシズ)がある。同社は2億ドル(約310億円)超を調達した後、2024年に従業員のほぼ全員を解雇し、現在は事業を停止している。
課題の一因は、CRISPRを巡る過剰な期待が生んだ反動にある。「CRISPRは、2018年当時に現在のAIブームのような存在だった」と語るのは、マモス・バイオサイエンシズの共同創業者で最高科学責任者のジャニス・チェンだ。同社は、チェンが学生として在籍していたダウドナの研究室から2017年にスピンアウトした企業だ。「ジェニファーは、期待は非常に大きいが、実現には時間がかかり、コストも膨らむというハイプ・サイクルについて我々に警告していた」と彼女は振り返る。
米国の遺伝子編集企業への投資額は減少に転じ、約8060億円まで落ち込む
ベンチャー投資データベースのピッチブックによれば、米国の遺伝子編集企業への投資額は2016年の24億ドル(約3720億円)から着実に増加し、2021年のピーク時には122億ドル(約1.9兆円)に達していた。しかしその後は減少に転じ、2025年の投資額は52億ドル(約8060億円)まで落ち込んだ。
CRISPRの初期の発見をめぐっては、カリフォルニア大学とブロード研究所の間で長年にわたる特許紛争が続いている。ブロード研究所の研究者は、ダウドナとほぼ同時期にCRISPRに関する論文を発表していた。この紛争は現在もなお完全には決着していないが、ダウドナは「現在取り組んでいる研究への影響は皆無だ」と述べている。
承認された初のCRISPR治療薬は、患者1人あたり約3億4000万円に設定される
それでも、冒頭の乳児KJの症例が示すように、この技術が我々の生活に劇的な変化をもたらす可能性は依然として大きい。2023年末には、FDAが鎌状赤血球症を対象とする初のCRISPR治療薬を承認した。この治療薬は、フランス人の生化学者エマニュエル・シャルパンティエが共同創業したCRISPRセラピューティクスとバーテックスの共同開発によるもので、薬価は患者1人あたり220万ドル(約3億4000万円)に設定された。大手製薬会社も動き始めている。昨夏にはイーライリリーが、心血管疾患向けの遺伝子編集治療薬を開発するバーブ・セラピューティクスを13億ドル(約2015億円)で買収した。
ダウドナのエコシステムからは、まだFDA承認を経て市場投入に至った医薬品は出ていないものの、マモス・バイオサイエンシズは2024年、バイオテック大手リジェネロンと提携契約を結び、株式投資を含めて1億ドル(約155億円)を前払いで受け取った。マモスの直近の評価額は14億ドル(約2170億円)とされている。


