
「人間として見えないものを見ていく努力が大事なんです」と立石は言う。「テクノロジーの助けも、もちろんありますけど」。
何が「見えていない」のだろうか。
私たちは普通、「蒸気機関が発明されたから産業革命が起きた」というふうに、科学の発見→技術の発明→社会の変化、という一方向の因果で歴史を理解する。SINIC理論はそこに逆方向の矢印を加える。社会が効率化を強く求めたからこそ蒸気機関という技術が生まれ、その技術が熱力学という新しい科学を発展させた、と。原因と結果は、見る角度によって入れ替わりうる。
この理論が注目されるのは、1970年の時点で現代の「情報化社会」の到来を予測し、的中させてきた実績があるからだ。そして面白いことに、SINIC理論は「2025年」を大きな転換点と位置づけていた。55年前の予言が、ちょうど今を指している。
立石はいま、オムロンのシンクタンクで2033年以降の社会像を研究しながら、この理論を共有する企業や個人と実践のコミュニティを広げている。SINIC理論が正しいかどうかを検証できるのは後世の人間だが、少なくともこの理論は、私たちが「当たり前」だと思っている因果関係にも別の読み方がありうることを示している。
虫の足音を聴くと、世界が変わる
SINIC理論が人類史というスケールで視点を変えるなら、アーティストの滝戸ドリタは、物理的なスケールを変えることで世界の見え方を揺さぶる。
武蔵野美術大学でデザインを学んだ後、東京大学大学院で研究を続ける彼女は、人間と他の生き物の間にある「見えない対話」を、五感で体験できるかたちに翻訳している。

たとえば、微生物が発電した小さな電気で植物の成長を促す装置。土の中の振動を身体で感じられるシステム。そして、虫の足音を拡張して聴かせる作品。
「面白いことが起きるんです。人は自分の身体の大きさを、何かと比べて認識している。だから音が大きくなると、自分が虫のように小さく感じたり、虫が巨大に感じたりする。おもちゃのように虫を触っていた子どもが、命として感じるようになるんです」
私たちは普段、スケールの違いで他の生き物を「下」に見ていないといえない。何気なく踏んでしまっていることもある。でも知覚を拡張すると、その序列が揺らぐ。虫は「誰か」になる。
「お腹の中には微生物がいっぱいいるし、家の中にもたくさんの見えない生き物がいる。一人暮らしでも、実は一人じゃないんですよね」と滝戸。
私たちは「個人」という単位で生きているつもりでいる。でも実際には無数の生命と同居している。Wi-Fiが止まると生活が崩壊するように、腸内細菌がいなくなっても生きていけない。「自分」の輪郭は、思っているよりずっと曖昧なのだ。


