代償その2:目に見えない憤りが蓄積する
「一緒にいて楽」な人によく見られる特徴の1つは、あまり怒らないが内側に憤りを溜め込んでいることだ。
これは、どれほど上手にこなしても、感情労働は消えないからだ。そこには隠れた代償がある。自分のニーズを調整し、反応を和らげ、失望を軽く扱うたびに、神経系は努力を記録する。感情の調整は中立的な行為ではない。外からは何ということはないように見えても認知・生理的リソースを要する。
その努力が認められず、報われないと、抑圧された否定的な感情に変わる。感情はあるが表現されていない状態だ。悲しいことに、抑圧された感情は自然に消えることはない。
感情の抑制に関する研究では、習慣的に感情表現を抑える人は長期的に社会支援を受けることが少なく、感情的な親密さが低く、社会的満足度も低いなど、社会生活がうまくいかないことが示されている。感情の抑制は、対立を減らすにもかかわらず実際には人間関係の機能性を向上させない。感情を抑制することで感情の互恵性や深みも乏しくさせるためだ。
これは、多くのおおらかな人が「問題ない」ように見える関係でなぜか消耗を感じる理由だ。摩擦がないことは感情的な公平性を意味しない。一方が黙って関係における代償を黙って引き受け、見返りもなく調整役を担っていることを意味することが多い。
この蓄積する憤りには、普通明確な悪役も決定的な決裂もない。ただ未処理の感情的な努力がゆっくり積み重なっていくだけだ。
特に厄介なのは、憤りは通常、消化されるためにストーリーを必要とする点だ。しかし「何でも大丈夫」と自分を訓練してきた人にはストーリーがなく、あるのはただ気分だけだ。ストーリーを持たない気分は内側に向かう傾向にある。


