仮説をほどく
この驚くべき主張に取り組もう。
まず、もしAIが本当に人間の思考にそのような影響を及ぼし、しかも大規模に起きているのだとしたら、世界はそれによってはるかに良くなるはずだ、と言い張る人がいるかもしれない。これまで人々は、奔放で創造的な側面にしばしば惑わされてきた。ならば、論理的思考者の社会へとシフトするのはよいことだ。左脳が思考の主軸を担うのは祝福だ、というわけである。
全員が論理の適切な枠内に従うなら、どれほど調和が生まれるだろうか。平和と安寧が訪れるに違いない。常に互いに論理的な会話を交わし、行動は論理に根差す。総じて、これはかなり魅力的な取引に見える。AIとLLMの大規模な普及に感謝すべき輝かしい成果だ、ということになる。
しかし待て、という反論が来る。創造的思考がいかに重要かを忘れている。
世界は、人間がオートマタ(自動人形)と変わらない存在で満ちるだろう。私たちは皆、純粋な論理の調べに合わせて行進する。おそらく、誰も枠の外で考えられなくなり、進歩が止まる。人々は停滞し、創造的なことは何も起きない。これは人類の成熟にとって、行き止まりの道である。
半分空ではなく半分満ちたグラス
論理面では勝てるが創造面では破滅する、という考えを巡らせている間に、視点を切り替え、この難題を別の方法で解釈してみよう。
AIの大規模利用によって左脳が本当に補強されている、と仮定する。さらに、右脳が注目を奪われ、飢えさせられるとも仮定する。右脳は縮み、機能が鈍る。
しかし右脳の状態について、別の捉え方がある。右脳は左脳に追いつくために2倍働かざるを得ない、と考えるのだ。つまり、錆びつくどころか、右脳は自力で繁栄する。AIが左脳を狙っているからといって、右脳が手をこまねいて黙って見ていなければならない、ということにはならない。
右脳はゲームに残るために断固として戦う。創造性がフル回転を始める。総じて、右脳は自らの自然なプロセスによって補強されるだろう。これは、同様の目的を達するためにAIに頼るよりも望ましい可能性がある。
実際、もう1つ考えるべきことがある。左脳がAIの注目を一身に受けるなら、左脳のほうが怠けるかもしれない。奇跡的に補強されるのではなく、論理的思考をAIに全面的に依存するようになる、というわけだ。
究極的な結果として右脳が至高の地位を占め、人類を極度に創造的な方向へ焚きつける。残念ながら左脳は、AIを精神的な松葉杖のように使うようになる。AIに助けを求めて駆け込まなければ、論理的思考をほとんどできなくなる。
推測される結末は、支配的な仮説が示唆するものとは完全に逆である。結論は、支配的な仮説とは真逆の結果になるということだ。


