社会の様相が変わってしまった
これらの虐殺はすべて、前例のない規模でインターネットと通信が遮断された中で起こった。イラン政府は固定電話の通信回線さえ遮断した。
「最終的な犠牲者数が判明するまでには時間がかかるが、これは間違いなくイラン史上最も残忍で、最も多くの死者を出した抗議デモ弾圧だ」と、ボストン大学客員研究員で歴史学者のアラシュ・アジジは断言する。「まぎれもなくイスラム共和国史上最も凶悪な所業だ。政権のこれまでの残虐性を考えると、これは相当な意味を持つ」
たった2日間という短い期間であまりにも多くのイラン人家族が立ち直れないほどのショックを受けたため「社会の様相と精神構造がすっかり変わってしまった」と、『What Iranians Want: Women, Life, Freedom(イランの人々が求めるもの──女性、生活、自由)』と題した著書のあるアジジは付け加えた。
マウント・アリソン大学のディバイン准教授も、暫定的な犠牲者数でさえ「1979年の(イラン・イスラム)革命時の抗議デモによる死者数を確実に上回っている」ことが決定的だと認めている。
イラン最後のシャー(国王)となったモハンマド・レザー・パフラヴィー(パーレビ国王)を廃位し、現在のイスラム政権誕生につながった革命で一、二を争う血なまぐさい瞬間は、1978年9月8日に起こった。この日、テヘランのジャレー広場でイラン軍がデモ隊に発砲。この事件での死者は100人未満だったが、結果的にこれがシャーの運命を決定づけた。
今回の虐殺は、最も慎重な犠牲者数の推定を信じるにせよ、最も反体制派寄りの数字を信じるにせよ、あらゆる面で桁違いに致死率が高い。
「この残虐性に少しでも似た近年の歴史的事例を挙げるなら、1980年代前半と1988年の夏にイスラム政権が行った反体制派の大量処刑だ」とアジジは述べた。「この規模の事例は、パフラヴィー王朝時代には起こらなかった」
これに少しでも匹敵するイランの民間人大量殺戮を見つけるには、数世代どころか数世紀は時代を遡らなければならない。おそらく、1790年代の動乱の時代にイラン南部の都市が征服された事件か、13世紀のモンゴル帝国の侵攻にまで遡る必要があるだろう。
現在、ドナルド・トランプ米大統領はイランに対して軍事力を行使する可能性を公言している。実際に攻撃に踏み切るのか、それによってイラン国内に吹き荒れているまさに前例のない国家による暴力を鎮めることができるのかどうかは、まだわからない。


