ウクライナ侵攻は11日、暗い節目を迎えた。この日、ロシアがウクライナに侵攻を開始してから1418日が経過した。これにより、第二次世界大戦中の1941年6月22日~1945年5月9日まで続いた「大祖国戦争」で、ソビエト連邦の赤軍がナチスドイツと戦った日数に並んだ。
ロシア軍が約4年前の2022年2月22日にウクライナへの全面侵攻を開始した際、ロシアはウクライナの「脱ナチ化」と非軍事化を目標に掲げていた。だが、この紛争は今や、実際のナチスとの戦いより長期化している。
米政府系「ラジオ自由欧州(RFE)」は次のように報じた。「2026年、ロシアは戦場で勝利するのに苦戦している。ロシア軍は広大な地域を一気に制圧することができず、カタツムリが進むような速度で前進を続けている。これは第二次世界大戦というより第一次世界大戦に近い」
確かにロシアは現在、ウクライナ領土の4分の1近くを占領しているが、かつてのソビエト赤軍はソ連の首都モスクワの手前まで迫ったドイツ軍を、約1600キロ離れたドイツの首都ベルリンまで押し戻すことに成功した。現在、ロシア軍が侵攻を開始してから4年が経過しようとしているが、同軍は侵攻開始から数週間の時点より、ウクライナの首都キーウから遠ざかっている。
「短期決戦」に弱いロシア
西洋の歴史には、長く続く戦争と同じくらい多くの「短期間で終結した戦争」の物語がある。例えば、ドイツ統一をもたらした普墺(ふおう)戦争は「七週間戦争」とも呼ばれる。しかしロシアの場合、戦争の多くは短期間で終結せず、たとえ短期間で終わったとしても、自国にとって「勝利」と言えるものはほとんどなかった。
ロシアは明らかに長期戦略を貫いてきた。1763~1864年のロシア・チェルケス戦争は1世紀以上に及び、ロシアによる北カフカス支配の確立で終結した。同様に、単一の紛争ではないものの、1568~1918年に及んだ露土戦争はさらに長期にわたり、同地域では平和の実現が困難であったことが示された。チェチェンとロシアの紛争も1785年以降2世紀以上にわたって続いており、19世紀と20世紀に大きな局面を迎えた。
一方、短期間の紛争では、ロシア軍は1904~05年の日露戦争のように敗北を喫するか、1939~40年のフィンランドとの冬戦争のように、苦戦を強いられ多大な犠牲を払ってようやく勝利を収めるかのいずれかだった。
ロシアが支払ってきた多大な代償
人的・物的損失に加え、ロシアの敗北は他の面でも多大な代償を伴ってきた。日露戦争での日本に対する屈辱的な敗北は、ロシア帝国海軍の壊滅的な打撃をもたらしただけでなく、1905年のロシア第一革命の重要な契機ともなった。
戦争は帝政ロシアの無能さを露呈し、国民の士気を打ち砕いた。ロシア全土で不満が高まり、大規模なストライキや反乱が発生し、皇帝ニコライ2世の統治に挑む事態となった。革命は鎮圧されたが、わずか10年余り後の1917年、第一次世界大戦下でロシアが苦戦する中、二月革命が起こり、数世紀続いたロマノフ王朝は倒れた。



