「ガチ中華」で日本の多文化社会を見える化
梁さんはただの飲食店オーナーではない意外なもう1つの顔を持っている。
先月末、茨城県南部の味坊の自社農園の近くにある梁さんの別邸「梁餐泊」を訪ねる機会があった。地元の地主から古民家を購入し、1年以上かけて改装したもので、自分のアトリエ兼「美食とアート」の拠点にする考えだという。
筆者はそこを訪ね、北京郊外にある芸術村「宋庄」のことを連想した。栗憲庭さんという中国を代表する現代美術の評論家が1990年代半ば頃、多くの若い芸術家たちを率いて、当時はただの農村に過ぎない集落に移住し、アトリエを建てた。宋庄では、2010年代半ばくらいまで、独立系のアートフェスや映画祭が随時開催され、筆者も通い詰めたものだ。
その話をすると、梁さんは「それほどじゃない」と笑いながら応じていたが、彼も宋庄のことは知っていたようで、その翌週、中国の天津に出張に行った折に、北京郊外の宋庄を初めて訪ねたと聞かされ驚いた。宋庄にいる友人の画家を訪ねたのだという。
自由を求めて中央の地から離れた農村に集結し、生活を共にしながら創作活動をしている宋庄の芸術家たちは、それこそ『水滸伝』に出てくる梁山泊の登場人物のようなところがあると思う。
梁さんが別邸を農村に選んだのは畑仕事もやりたいからだが、自身が手がけたという邸内の内装のデザインからは、日本人にはない斬新な発想やあふれんばかりのセンスが伝わってくる。
こうしたガチ中華オーナーたちとの交流も含め、筆者にとって、この5年間はまさに「参与観察」の日々だったと言える。
参与観察とは、対象となる集団やコミュニティに参加し、その一員として生活や活動を共にしながら、彼らの行動や文化、社会的な相互作用などを長期的に観察し記録する社会調査手法だ。
それは、外からは見えにくい内部に分け入り、単なる傍観者ではなく、ときには特定の役割を果たしながら、彼らの日常を体験し、そこで起きている出来事を、十分な時間をかけて多角的に捉え、洞察していくという実践でもある。
以前、大学時代のゼミの後輩で、1990年代に東京の大久保にあった中国人経営の飲食店でアルバイトをして、経営者や従業員たちの行動様式や社会的な関係、規範、価値観といったことを「参与観察」しながら、修論のテーマとしてまとめた学生がいた話を紹介した。
どうやら自分も、気がついたら、同じようなことをやっているのではないかと思うようになっていた。ガチ中華という新しいグルメの出現は、今日の社会を映し出す鏡であり、この5年間の変化を彼らと共に過ごし、観察したことで知り得たものはとても多かった。
それは今年、にわかかに浮上した政治イシューでもある「外国人問題」をどう考えるべきかというテーマといみじくもつながってくる。
いま起きていることの内実が十分に見えず、物事の良し悪しはともかく、表層的な理解のまま、コトの是非を議論しても、よりよい問題解決に向かうものだろうか。
ガチ中華というその気があれば誰でも体験できる食の世界を通じて、日々進行する日本の多文化社会を見える化することが自身の役割だと考えてきたのはそのためなのである。


