パートナーの予測不能さが化学反応のように感じられるのは、かつて矛盾がつながりの合図だったからかもしれない。関係における距離感が普通だと感じられるのは、親密さが初めから条件付きのものだったからかもしれない。つまり個人が「愛」として体験しているものは、単に神経が古い設計図を認識しているだけかもしれない。
これはそうした人が故意に間違った相手を選んでいるという意味ではない。単に身体が認識するものを選んでいるということだ。おそらく彼らにとって、無意識のうちに、関係を終わらせることは何十年もの間唯一の現実であった感情的な枠組みから離れることを意味する。
こうしたことから、そうした人が疑念を抱くのは当然だ。しかし回復は正しいと感じることが必ずしも良いとは限らない、という理解から始まる。そして、おそらくもっと重要なのは、奇妙に感じることが常に危険とは限らないということだ。新しい関係で感じる不安はおそらく新しい愛の言語に慣れるための不安に過ぎない。
2. 古い傷を癒そうとしている
満たされない関係に長く留まる最も見過ごされがちな理由の1つは、未解決の感情的経験を新たなパートナーで再現する、反復強迫サイクルという静かな引力だ。表面的には自分を苦しめる行為に見えるが、実はかつて抱いた圧倒された感覚を無意識に解決しようとする試みだ。
繰り返されるトラウマ的な夢についての研究では、心は古い傷を再訪することでそれを克服しようとすることが示されている。無力感を主体性へ、混沌を秩序へと転換する試みだ。人が繰り返し見る夢で脅威や苦痛を伴う状況を再体験するのは、精神がかつて断片化され耐え難かったものを統合しようとしているからだ。
現実世界でも反復強迫は同様に作用する。私たちは幼少期の傷に似た関係に引き寄せられる。ある意味、元々の物語を書き換えようとしているからだ。
断続的に承認を与えるパートナーと付き合い続ける人は、成長する過程で注意を向けられず、存在が無視された痛みをパートナーを通じて解決しようとしているのかもしれない。
だが痛ましいことに、再現は解決につながらない。恐怖が消化されていないからこそトラウマ的な夢が繰り返されるように、こうした関係のパターンも傷が癒されていないからこそ続く。パートナーは伴侶というより象徴的な存在となり、痛みの元凶の代役として機能する。
より深く癒されるには、関係を修復の場として利用するのを止め、自分自身や自分の境界線・ストーリー・歴史・癒しへと意識を戻す必要がある。関係を過去がようやく償われるかもしれない場と見るのではなく、関係そのものの本質を見極めるべきだ。


