私の経験からすると、「上がわけがわからなくて」と愚痴をこぼされるケースの7、8割は、上が悪いのではなく、受け取る側の力不足に原因がある。
逆に言うと、受け取る側に理解力があれば、上に立つ人の言葉の真意をくみ取ることができる。
それを端的に感じたのは、映画『榎田貿易堂』の撮影中のこと。
メインキャストの一人である、伊藤沙莉さんとのやりとりだった。
泣く演技が苦手な俳優にかけた「ひと言」
当時22歳の彼女に、「夫とのセックスレスに悩む、30代の主婦」という、アプローチの難しい役をまかせていた。
夫婦関係に行き詰まり、涙を流すシーンがあった。
彼女自身、元々泣く演技が苦手だと言っていたこともあり、本番を待つ姿が少しだけ不安そうに見えた。
そこで私は、「シンク、一人分の食器、捨てられた料理」とだけ声をかけた。
もし共通言語を持たない俳優だったら、「は? 何言ってんだろ?」とその芯を捉えることはできないと思う。
だが、彼女の反応は秒速だった。
遅くなると言った夫に、妻は夕食を用意しておいた。だが、連絡もなしに外で食べてきた夫は、手をつけずにそのまま捨てた。それもなんの気遣いもなく、三角コーナーに。
そのシンクの有り様を翌朝、妻が見た。
そんな「空しさのイメージ画」が浮かんだようで、彼女の目からは涙があふれて止まらなくなった。
それは、そのシーンのすべてのカットを撮り終えるまで、枯れることはなかった。
「受け手」にスキルがあれば、一見、わけがわからない上司の言葉もきちんと受け止められる。
自分しだいで、周囲の人のささやきも、金言に変えられる。


