経営・戦略

2025.12.23 13:30

累計4兆円のサステナブルファイナンス実行へ 「地場産業の成長」「地域の未来」を創造:横浜FG 片岡達也

片岡達也|横浜フィナンシャルグループ 代表取締役社長 

ひとつは「引き出し」を増やすことだ。横浜FGでは、資格取得支援や外部研修を通じて社員のスキルアップを促進している。例えば、一部資格試験に挑戦する行員には合否にかかわらず支援金を提供する制度を導入し、挑戦を後押しする。

advertisement

ふたつめが顧客との関係性づくりだ。「お客様から悩みや課題を引き出すには、コミュニケーションに時間をかける必要があります」。そこで活用しているのがAI(人工知能)だ。生成AIを用いた従業員専用の情報分析プラットフォームなどを導入し、業務の効率化を推進している。 

「お客様の課題解決を通じて、自分の仕事の社会的意義を実感する行員が増えれば組織も成長する。若いころから重要なポジションを任せるなど、組織の若返りにも積極的に取り組んでいます」

若手の挑戦や成長を後押しする背景には、若くして経営再建に奔走した自身の軌跡がある。片岡はバブル崩壊後の金融危機を経験したバンカーのひとりだ。

advertisement

1998年には横浜銀行の株価が大幅下落し、破綻一歩手前の状況に陥った。横浜銀行は公的資金を申請し、経営改善のために大規模なリストラを断行した。 

「先週まで目の前にいた人たちが次々と去っていく。ものすごい衝撃とともに、この銀行を存続させるために何をすべきかを真剣に考えるようになりました」

上司や先輩が去っていったことで、30代前半だった片岡はレベルの高い仕事を任されるようになった。この経験が、後のキャリアの基盤となった。

「当時はつらかったですが、今の横浜銀行があるのは、あのとき去ってゆかれた先輩方のおかげだと思いますし、あのとき重要な仕事を任されていなかったら、自分は今このポストにいないと思います」

2010年に渡英し、ロンドン駐在員事務所長を務めた。帰国後は経営企画部事業戦略企画室長として16年の東日本銀行との経営統合を支えた。その2年後、東日本銀行が金融庁から業務改善命令を受ける。自分の責任ではないとはいえ、統合に携わった身として「横浜銀行で仕事をしていることにもどかしさを感じました」。

いっそのこと、東日本銀行に骨を埋めよう。そう覚悟を決め、当時の横浜銀行の頭取に直談判した。そして19年からおよそ3年間、取締役として東日本銀行の立て直しに奔走した。就任当初は赤字だった同行は、21年度に黒字化を果たした。

片岡は「キャリアにおいて運は重要だ」という。ただし、片岡が言う運とは単なる偶然ではない。努力や人脈、そして「やり抜く」ことを通じてもたらされるものだ。 

「運は自分の行動次第で引き寄せられるものです」。困難な状況でも諦めずに取り組むことで、結果として運が味方する。片岡のキャリアがそれを物語っている。


片岡達也◎1967年、神奈川県生まれ。東京理科大学理学部卒業後、90年に横浜銀行入行。2018年コンコルディア・フィナンシャルグループ(現・横浜フィナンシャルグループ)執行役員経営企画部長、19年東日本銀行取締役を経て22年4月から横浜銀行頭取。同年6月から現職。

横浜フィナンシャルグループ◎都市型地方銀行である横浜銀行を中核とする地域金融グループ。横浜銀行と東日本銀行の経営統合で2016年に誕生した。法人顧客は約25万社、個人顧客数は約500万人。

文=瀬戸久美子 写真=若原瑞昌

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事