ベネッセアートサイト直島、企業理念「よく生きる」の具現化の先に

プロジェクトを始めてしばらくは、ベネッセの事業へ直接的な影響は少なかったというが、近年では事業サイドもアート事業を通じてベネッセの思想が伝わることを実感し、両者の距離が近づいてきた。

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また海外においてはベネッセよりも“Naoshima”のほうが認知度が高く、「直島のアートプロジェクトをやっているところなら話を聞いてみたい」と機会を得るなど、事業だけでは繋がることができない相手とつながる経験をする社員もいる。

黒字化が大きな転機に

1985年に始まって約40年続くプロジェクトだが、ここに至るまでの道のりは平坦ではなかった。「株主総会や取締役会で『いつまで直島のプロジェクトをやるんだ』と言われた時期もありました」と高橋は振り返る。

転機は何度かあった。2004年の地中美術館オープン、2006年のホテル増築による収益構造の強化、そして2010年に開幕した瀬戸内国際芸術祭。「特に最初の10年くらいは試行錯誤で、その積み重ねが2004年頃に花開き、瀬戸芸でさらに拍車がかかった」と笠原。いつからか社内外にも応援団が増え、「赤字でも続けろ」という声も聞かれるようになったという。

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ベネッセハウス ミュージアム
ベネッセハウス ミュージアム

長い年月をかけて黒字化し、現在は「赤字は許さないが、単純な収益だけで測るわけではない」というスタンスをとっている。ブランド力の向上、直島の認知度向上、最近では事業への貢献など、複数の指標を設けて成果を見ている。

こうした効果検証が回るようになったのも、赤字を脱してから。企業の文化事業にはそもそも黒字化を目指していないケースも多いが、黒字化は取り組み持続のために越えるべき一つのハードルと言える。

笠原は言う。「やはり地域振興活動というのは、どうしても時間がかかる。私自身の感覚としても、10年、15年を経てようやく地域の信頼を得られる。福武總一郎(ベネッセホールディングス 名誉顧問)が直島でのアートによる活動を始めたときから、目の前の成果よりは時間をかけていいものをつくるんだという姿勢がありました。そもそも『よく生きる』ということ自体がなかなか答えのない、考え続けるような内容ですから」。

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文=青山鼓 編集=鈴木奈央 写真提供=ベネッセホールディングス

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