ITの普及で日々、進化するビジネスの世界。その震源たるアメリカ発のビジネスモデルが注目されがちだ。しかし、「アメリカでは実現不可能だが、その形態はお見事」と、アメリカも注目する業界が70年代の日本にあった。
「ラーメンから航空機まで」何でも取り扱う日本の「総合商社」のビジネス形態である。
いまでは世界で知られる存在の商社は、どういった点で革新的だったのだろうか?
驚異的な高度経済成長を遂げる日本に、世界の注目が本格的に集まり始めた1972年5月の記事をご紹介しよう。
(中略)
とはいえ、日本の商社は見た目の数字ほど脆くはない。こうした数字の裏には、根本的な企業哲学の違いがあるのだ。アメリカの経営者は、三菱商事の数字を見て「マージンをあと0.1%でも上げられれば、利益を3倍に増やせる」と考える。そして不採算取引や利益率の低い取引を切り捨て、売り上げを抑えるだろう。
対照的に、商社の幹部は「利益をさらに落とせば売り上げをどの程度増やせるだろう?」と考える。彼らは、決して利益を軽視しているわけではない。しかし、彼らは企業の健全性と成長を維持する一つの指標としてしか利益を考えていない。日本の商社にとって最も重要なのは利益ではなく、成長と経済発展なのだ。
「日本のために低価格の原料を確保したい」
「国民の生活水準を上げたい」
伊藤忠商事の役員たちに会社の長期的な目標を尋ねたところ、そうした同じような答えが返ってきた。誰も、「株主のために利益を上げたい」とは言わなかったのである。
(中略)つまり、日本ではビジネスとは単に利益を上げるだけではないのだ。ライシャワーは日本の企業全般について語っているが、その指摘は特に商社に当てはまる。商社業界ほど競争と公共性との間で絶妙な位置取りをしている業界はほかにない。
(中略)
日本ならではの「ビジネスモデル」
翻ひるがえって、アメリカの商社はどうなのだろう? 厳密な意味での日本型の商社は、アメリカでは違法となる。即刻、取引制限が課せられるだろう。例えば、日本の商社の国内取引は、戦前の財閥と同じように、特定の銀行を中心に行われる傾向にある。ビジネス機会は、まず系列の日本商社のために確保されている(逆に、これが特定のグループとのつながりを持たない伊藤忠商事の強みでもあり、弱みでもある)。
また日本の商社は、複数の競合企業グループと輸出入の代理店契約を結ぶことができるが、これもアメリカの法律では認められていない。
こうした状況を第三者は、日本の成功が官民の「癒着」によるものと考えがちだ。だからこそ、「日本株式会社」という表現が使われる。アメリカの経済界も政府に、この種の自由を求めている。しかし、彼らはアメリカの経営者なら我慢できないほどの干渉を、日本の経営者が政府に許していることを知らない。
経済界と政府間に「不協和音」があるとき、日本政府はアメとムチを使い分ける。アメとして、政府は企業に日本への強い忠誠心をくすぐり、説得に乗り出す。日本では、厳密な独占禁止法は不要と考えられている。政府が「指導」するからだ。
もし、経済界が異議を唱えたら? その場合、政府はムチに切り替える。日本の銀行業務は、政府の日本銀行が管理している。それを通じて、借り入れの差し止めや融資の引き上げが自由にできる。これは、日本の商社にとって「死」を意味する。
こうした点からも、ハーバード大学の日本経済専門家ヘンリー・ロゾフスキー教授は、「日本株式会社」という考え方に疑義を呈している。
「日本では、企業と政府が国の目標について同じように考えていることが多いのです。重要なのは、日本が独裁国家ではない点です。合意が得られる前には、徹底的に議論が行わ
れます。しかし、いったん合意が得られたら、彼らは目標に向かって協力し合うのです」
日本は、単にダンピングや低賃金労働、あるいは「日本株式会社」になるだけで、現在の地位を得たわけではない。多くのことを正しく行ってきたからだ。そして、その好例の一つが「商社の経営」である。