テクノロジー

2025.12.01 17:00

IBMは量子コンピューターで黄金期を取り戻す──熱狂的な投資の裏で着実に歩む“老舗”

物理学者のジェイ・ガンベッタ(写真右)Photo By Arnaitz Rubio/Europa Press via Getty Images

物理学者のジェイ・ガンベッタ(写真右)Photo By Arnaitz Rubio/Europa Press via Getty Images

量子コンピューターは、創薬や金融、素材開発を一変させる「次の計算基盤」として注目を集めている。米国では、まだ実験段階にある量子スタートアップにまで巨額の資金が流れ込むようになった。かつてメインフレームで世界最大級のIT企業だったIBMは、2000年前後から量子技術への投資を続け、現在も同社工場で実機の量子コンピューターを組み立て、米バイオ医薬品企業モデルナや資産運用大手バンガードなどが試験運用に参加している。

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派手な資金調達で脚光を浴びる新興勢と、着実にハードウェア製造と運用の蓄積を重ねる老舗。本稿では、IBMの量子コンピューター開発を統括する物理学者ジェイ・ガンベッタ(46)とハードウェアエンジニアが、超伝導方式で量子コンピューター競争を制そうとする最前線を追う。

かつてメインフレームで世界を制した老舗が、量子技術で製造拠点の黄金期を狙う

約50年前、ニューヨーク州ポキプシーのIBMの工場は、コンピューターのハードウェアを大量生産していた。メインフレームが生む莫大な利益は、従業員への手厚い待遇や先端研究を支え、そしてIBMを地球上で最も価値ある企業に押し上げた配当を賄っていた。

当時の勢いを失った現在のIBMの売上の大半は、ソフトウェアやビジネスサービスになっている。それでも同社は、ポキプシーを再び黄金期に戻すかもしれない新たなハードウェア開発に取り組んでいる。IBMはこの地で、既存のコンピューターでは到底処理できない計算を可能にする「量子コンピューター」の開発に挑んでいる。

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量子技術が約束どおりの成果を出せば、エンジニアは創薬やワクチン開発、電池や化学物質の設計で、飛躍的な進歩を可能にする。ボストンコンサルティンググループ(BCG)は昨年、2040年には量子コンピューターのハード及びソフトウェア企業が年間900億〜1700億ドル(約14兆~約26.6兆円。1ドル=156円換算)の収益を上げると予測した。

物理学者ガンベッタ率いるチームは、光子やイオントラップではなく超伝導方式を選択

IBMは、2000年前後から、この急速に進化する技術の中心に関わり続けてきた。その先頭に立つのが、オーストラリア出身のジェイ・ガンベッタだ。6大陸に広がる約3000人の研究者を束ねる彼は、キャリアのすべてを量子に捧げて生きてきた。

ポキプシーの工場から南へ約60キロの地点にあるIBMのワトソン研究所にガンベッタが加わったのは、2011年のことだ。イェール大学でのポスドクやウォータールー大学での教員時代を経て同社に参加した彼は、「教えるのも好きだが、本当はものを作りたかった」と振り返る。

量子コンピューターの情報を格納する量子ビットをどう作るかには複数の方法があり、どれが実用的な量子マシンの決め手になるかはまだわからない。アインシュタインがノーベル賞を受けた研究でも示されたように、光を構成する光子は量子化されている。そして一部の実験用コンピューターは、この光子を量子ビットとして利用している。

また、帯電した原子であるイオンを量子システムの基盤とする「イオントラップ」と呼ばれる方法もある。別のアプローチとして、シリコン基板上に配置した極小の超伝導ワイヤに電流を流す方法もある。ガンベッタがワトソン研究所に着任して3年以内に、彼と同僚はこの3つ目の方式に賭ける決断をした。光子やイオントラップではなく、超伝導方式一本に絞ったのだ。

超伝導方式では、チップを絶対零度よりも70分の1度だけ高い温度まで冷却する。この極低温が必要なのは、超伝導を成立させ、電子の繊細な動きを熱雑音から守るためだ。チップ上の構成要素である「トランズモン」は、近くに置かれた制御用の通常のコンピューターから送られるマイクロ波パルスによって制御される。

レーダー技術など50年分の蓄積を活用し、雑音の少ないマイクロ波信号を自在に開発

この方式がIBMにとってメリットとなったのは、極低温環境を“既製品の装置”で実現できることや、チップ製造を同社が社内で完結できること、そして携帯電話にも使われるマイクロ波技術が電気工学の世界ではすでにおなじみの技術だったことだ。「私たちは何も一から発明する必要はなかった」とガンベッタは語る。「レーダーやマイクロ波技術には50年分の蓄積があり、そのおかげで、私たちは雑音の少ない美しいマイクロ波信号を自在に作れるようになった」。

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翻訳=上田裕資

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