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2025.11.24 16:00

米感謝祭市場に伝統製法の高級「ターキー」で乗り込む英国農家の野望

ポール・ケリーと彼のケリー・ブロンズ種の野生の七面鳥(Photo by Cate Gillon/Getty Images)

安価な大量生産が主流だった時代に、あえてコストのかかる伝統的な品種と製法へ回帰

ケリーが生まれた1963年、両親は小さな農場を購入した。父親は当時、大手家禽会社で働いていたが、長年勤めた後に退職した。そして1971年、ケリーが8歳のときに一家で独自のターキー事業を始めた。「私たちの伝統はすべてアメリカに由来していた」とケリーが語るように、当時、英国のターキー産業は「ニューヨーク・ドレスト」と呼ばれる鳥を生産していた。

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1983年にスコットランドのグラスゴー大学付属の農業専門大学を卒業して農場に戻ったケリーは、家業を次の段階に押し上げるべきだと家族を説得した。その翌年の1984年には、家族が扱っていたオレゴン州原産のホワイト・ロールスタッド(White Wrolstad)種を「昔ながらの伝統的なブロンズ種」に切り替えた。

ケリーはまた、七面鳥を屋外に出し、自由に歩き回り、砂浴びをし、ついばめる環境を整え始めた。家族は、ドライ・プラッキングを行った鳥をつるして熟成させる工程にも着手した。このプロセスは当初7日間だったが、現在では2〜3週間にまで延びている。こうした方法は、本来安価な家禽であるターキーに対しては非常にコストのかかるアプローチだった。

「当時の英国のターキー農家は、低コスト競争に明け暮れていた。私たちは業界の笑いものだった」とケリーは振り返る。

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こうした状況のなか、初年度の年商は30万ドル(約4700万円。現在の価値で約93万ドル[約1億5000万円])ほどにとどまった。それでも一家は方針を貫いた。1987年、ケリー家は金利10%、返済期間10年という条件で9万ドル(約1400万円)で旧酪農農場を購入した。農場の建物と約2万平方メートルの草地(ケリーが後に家を建て、現在も住んでいる)は、繁殖体制の拡大を後押しし、小規模な加工施設の建設も可能にした。「私たちにとって大きな決断だったが、その後の需要の増加に備えた場所を手に入れられた。結果的に最高の投資になった」とケリーは言う。

そして1990年までには「精肉店のほうから電話が来るようになり」、1994年には売上高が120万ドル(約1億9000万円)に急増した。ケリーブロンズは1990年代を通じて地元農家をネットワークに加えていき、2001年には、当時のチャールズ皇太子のオーガニック食品ブランド「ダッチー・オリジナルズ」のクリスマスターキーの生産者に任命された。

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翻訳=上田裕資

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