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2025.11.19 16:00

逃げ出したかった故郷で次の100年を醸す——豊国酒造9代目が貫く、覚悟の経営

人口約5,000人、過疎化が進む福島県・古殿町で、1軒の古い酒蔵が異彩を放っている。創業は江戸末期の1830年。以来、地域に根差した地酒の造り手として親しまれてきた豊国酒造は、9代目蔵元杜氏・矢内賢征の手によってその姿を大きく変えようとしている。


東北新幹線の郡山駅から車を走らせること約1時間、信号機もまばらな山間を抜けると、色鮮やかな壁画が出迎えてくれる。幅40メートル、高さ4メートルという巨大なアート作品のタイトルは「DandeliEn(ダンデライエン)」、タンポポを表す「ダンデライオン」と「ご縁」をかけた名称で、年間1,000人が訪れる観光名所となった。

「古殿に人が来るということが、何よりうれしい」と語る矢内だが、もともとは地元愛にあふれる人間ではなかった。姉と妹に挟まれた3人きょうだいの長男として生まれた矢内は幼少期から、地域の誰もが知る酒蔵の跡継ぎとして認識されていた。そのことが、思春期の矢内少年を大いに苦しめたという。

「常に、僕が知らない誰かが僕のことを知っているわけです。そうすると、やっぱり優等生でいなければいけないし、やんちゃするわけにもいかない。家業がない同級生がうらやましかったですね」

小学校高学年になり、芽生え始めた自我と「豊国酒造の跡継ぎ」という立場が衝突し始めると、矢内は「誰も僕を知らないところに行きたい」という思いを強くする。そしてその思いは、そのまま「酒蔵を継ぎたくない」という将来へとつながっていく。「とにかくこの町を出る」を目標に定めた中・高時代の矢内は、机に向かう時間を惜しまなかった。そして、晴れて早稲田大学への合格を勝ち取ることになる。

その大学での4年間を、矢内は「めちゃくちゃ楽しかった」と振り返るが、東京の大学に進んだ時点で目的はすでに達成されてしまっていた。いざ就職活動の時期になると、就きたい仕事も、入りたい会社も、何も見つからなかった。

そんな折、母親から一冊の本が届く。さまざまな日本酒の造り手たちを描いたルポルタージュだ。

「それまで僕は家業の日本酒を『地元の祭事などでこだわりなく飲まれるもの』と思っていたんです。その本に書いてあったのは日本酒を造る楽しさだったり、愛を持って売ってくれる人だったり、物語を読み解きながら大事に飲んでくれる人だったり。こんな世界があるんだって、家業に初めて興味を持ったんです」

その一冊に導かれるように、矢内は古殿町に舞い戻ることになる。

 

酒蔵の現実と「一歩己」の立ち上げ

酒造りに夢を抱いて帰郷した矢内だったが、そこで目の当たりにしたのはやはり旧態依然とした業界の現実だった。

「『地域密着』『伝統を守る』――言葉としてはきれいだけれど、実際は地域に依存している、新しいことに挑戦しないという側面がありました。それを変えなきゃいけない」

半年間の研修を経て、矢内は当時の蔵元である父親と杜氏(醸造責任者)から1本の酒造りを許される。「一歩己(いぶき)」と名付けたその酒は、「満足のいく仕上がりではなかった」と矢内は振り返る。

「1年目の一歩己が完璧でなくてよかったと、今は思うんです。不完全でも、売らなければいけないということを覚えました」

矢内は酒屋を回り、その思いを言葉にして伝えた。味だけでなく、その1瓶に込められた自分自身の歩みや物語が酒の価値を変え、600本を売り切った。そのことで矢内は、酒蔵という仕事の「おもしろさ」を感じたという。

「酒を造ることと伝えることはイコールだと思います。昔の酒蔵にとって伝えることは専門外という認識だった。僕自身は造り手の言葉はすごく大事だと思っていて、正しく伝えると飲み手の方々も、その物語も含めて楽しもうと思ってくださる。そういう気づきがありました」

「一歩己」の改良と並行して矢内が取り組んだのが、社内体制の改革だった。

「職人の世界では休まないことが美徳という考え方が根強い。休むことへの罪悪感があるので、『休んで』って言っても酒蔵に来ることも。最初は強制的に休ませ、一つの業務を複数担当にすることで休むことに慣れてもらいました」

業務を効率化し、属人性を排したことで生まれた時間を使って、味の改良にも挑んだ。それまで機械で洗っていた米を手洗いにするなど、仕上がりにつながる工程には時間を惜しまなかった。

「これらの変革について昔からの蔵人(酒蔵で働く人)たちには戸惑いも見られましたが、おいしいものができればお客さまに喜んでいただける。その喜びは売り上げにつながるし、評価にもつながる。売り上げと評価は最終的に蔵人たちのお給料やモチベーションに反映される。それを2年、3年かけて実行したことで、みんなにわかってもらえるようになりました」

蔵人たちから酒造りの楽しさやプライドを奪わないまま、矢内の改革は実を結ぶことになる。蔵人の雇用も増加し、25年には約4億円をかけて新たな酒蔵を建て替えた。

矢内が立ち上げた新ブランド「一歩己」
矢内が立ち上げた新ブランド「一歩己」

そして矢内が醸す日本酒は全国新酒鑑評会で連続金賞、南部杜氏自醸清酒鑑評会で首席を受賞するなどの評価を受け、海外進出にも踏み出している。味という日本酒の本質的な価値で「地域密着」の枠を飛び越えて見せたのだ。

コロナ禍が揺るがした酒蔵の存在意義

「一歩己」を立ち上げて10年、軌道に乗り始めたころに新型コロナの感染が広がり、日本酒そのものの存在意義が疑問視されたと矢内は言う。

「それまで多くの人の生活にあった、酒を飲み交わすという楽しみが消失し、日本酒というものが必需品ではなく嗜好品だという現実を突きつけられました。日本酒はもちろん、酒蔵という存在が必要ないものになってしまった」

事実、コロナ禍を経て多くの老舗酒造業が廃業を余儀なくされた。そんな中、矢内は「どうしたら酒蔵が必要とされるのか」と思いを巡らし、新たな「酒蔵」の像を具現化していく。

敷地内にあった築110年の蔵をリノベーションし、多目的交流スペース「kuranoba」をオープンしたのは2022年。料理教室やフラワーアレンジメント教室、ハロウィンパーティーが開催されている。翌23年には巨大壁画「DandeliEn」、24年にはその壁画周辺の土地を買い取り、緑地化して「そと庭」と名付け、地域住人に開放した。いずれも、矢内が「日本酒以外」で地域との接点を求めた結果だった。

(左)酒蔵の横壁を飾る巨大壁画「DandeliEn」。矢内はここを「数分でも古殿町に足を止めてもらえる足がかりになれば」と語る (右)多目的交流スペース「kuranoba」。天井の梁に「大正4年11月14日」とあるように、100年以上前の蔵をリノベーションしている。
(左)酒蔵の横壁を飾る巨大壁画「DandeliEn」。矢内はここを「数分でも古殿町に足を止めてもらえる足がかりになれば」と語る (右)多目的交流スペース「kuranoba」。天井の梁に「大正4年11月14日」とあるように、100年以上前の蔵をリノベーションしている。

「酒蔵が単に日本酒を造る場所としてだけではなく、子どものころに遊んだ場所、何かを体験・体感した場所として多くの人の心のつながりを持てればと。すぐには花開かないかもしれないけれど、ここで育った子供たちが大人になったとき、酒蔵が必要な場所と残していただけると思うんです」

3つのプロジェクトに投資した額は合計で約8,000万円。無論、採算が約束されているわけではない。

「古殿町を変えたいんです。地域のエネルギーを上げるために行動を起こせる人、腹をくくれる人を増やしたい。それにはまず、僕自身が覚悟を示す必要があるんです」

東京から戻って最初に立ち上げた「一歩己」、その名称に矢内は「己の一歩、その一歩をじっくり積み重ねていきたい」という思いを込めた。覚悟を決めた矢内の「一歩」は、確実に周囲を巻き込み始めている。


豊国酒造
本社/〒963-8305 福島県石川郡古殿町竹貫114
URL/https://azuma-toyokuni.com/
従業員/9名(2025年10月31日現在)

やない・けんせい◎豊国酒造9代目。古殿町生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、家業である豊国酒造に入社。自身で立ち上げた「一歩己」で高い評価を得て、豊国酒造を代表する銘柄にまで育てた。現在は、経営責任者と醸造責任者を兼ねる「蔵元杜氏」として指揮をとる。


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promoted by EY Japan / text by Akiyoshi Sato / photographs by Yoshinobu Bito / edited by Kaori Saeki