バイオ技術を活用した医薬品の研究開発から製造、販売までを一貫して手がけるJCRファーマ。特に希少疾病領域にフォーカスした取り組みで、世界のバイオ医薬品業界の進展に貢献してきた。創業者の芦田 信には、まるで禅者のような柔らかな風格があった。
鈴木大拙は、「禅と日本文化」(Princeton University Press/1938年)のなかで「禅は宗教ではない。むしろ科学である。科学が外界の現象を分析して法則を見いだすように、禅は内界の現象を観察して法則を見いだす」と説いた。
また、湯川秀樹は、「創造の本質」(岩波新書/1966年)において「科学の発見もまた、無心の状態、いわば禅の境地に似た心から生まれる」と述べている。
極めて稀な病気と向き合い、新薬を開発
この世界には「希少疾病」と称される病気が存在する。例えば、ライソゾーム病。身体中の細胞内に入り込んで蓄積された老廃物「グリコサミノグリカン」に起因するという。この老廃物を除去するための酵素生成に関係する遺伝子に異常が見られることで発症する。発症すると、全身のすべての臓器に影響を及ぼしていく。
「全身の臓器のなかでも、脳に溜まったグリコサミノグリカンが及ぼす影響は特に甚大です。身体の他の部位に溜まったグリコサミノグリカンを除去する薬は、すでに存在していました」
薬の成分を脳内に運べないのは脳の優れた機能によるものだと、兵庫県芦屋市に本社を構えるJCRファーマの代表取締役会長兼社長・芦田 信は言う。
「脳には血管を通って運ばれてきた異物の侵入を阻止する『血液脳関門』というバリア機構があります。これが自身の脳を守るために重要な働きをしています。しかし、その働きによって、薬の成分までもが阻まれてしまうのです。この難題を乗り越えるべく研究開発を続けてきたJCRファーマは、2021年に血液脳関門通過型の酵素製剤を日本で上市しました」
血液脳関門を超えて中枢神経系に必要な薬物を届ける基盤技術「J-Brain Cargo®︎」。JCRファーマでは、この技術を「ライソゾーム病」だけではなく、さまざまな疾患へも応用していくためにさらなる研究開発を進めている。この技術により、JCRファーマは世界のバイオ医薬品(バイオテクノロジーを用いて創製される医薬品)業界にあらたな可能性を提示していく意向だ。
「17年には『ライソゾーム病』を抱えた子どもの父親が、この病気の権威とされる医者と共にJCRファーマを尋ねてきました。ブラジルで闘病中の我が子にも使わせてほしいと——。当然ながら、私たちは『J-Brain Cargo®︎』で創製した薬を世界中に届けるための戦略を練っていましたが、この地球の反対側からの申し出を受けて、予定を早める決断をしました。ブラジルでの治験を開始したのです」
「ライソゾーム病」に向けた薬については、25年11月現在、米国や欧州、南米を含めての第III相臨床試験が進行中だ。
世界のバイオ医薬品業界の先端を駆ける
芦田は、1975年にJCRファーマの前身となる日本ケミカルリサーチを創業した。以前に勤めていた製薬会社で、研究者の芦田はウロキナーゼ(血栓を溶解する酵素)精製のプロジェクトを担当していたが、会社都合で突如として中止になってしまう。プロジェクト存続のために起業したのである。その後、ウロキナーゼを効率よく抽出・精製する手法を確立して、国内外で販売網を拡大。事業の基盤を築いた。
「創業時の社屋は、木造2階建て。社員は、私を含めて6名。もっとも大切にしていたのは、『自分で考えて自由にやる』という姿勢です」
芦田は、多くを語るタイプのアントレプレナーではない。どこか飄々とした、世俗を超越したかのような、柔らかな語り口のなかに「禅者の風格」を湛えている。そもそもが、研究者である。研究者としてのあり方を突き詰めた結果として、禅的な静けさを醸し出すようになったのだろうか。
「JCRファーマは、1993年に遺伝子組換えヒト成長ホルモン製剤を発売しています。70年代に尿由来のウロキナーゼなど生体抽出型の医薬品原料を手がけていたフェーズから、分子レベルでタンパク質を設計・生産できる遺伝子工学企業(バイオ医薬品メーカー)として本格的に歩み始めました。その後、95年に大阪証券取引所市場第二部、2013年に東京証券取引所市場第一部に上場しています」
JCRファーマの歴史。それは、国産のバイオ医薬開発を初期段階から支えてきた技術革新の歴史だ。従来のヒト成長ホルモンはヒト下垂体から抽出されていて、感染リスクや供給不足が課題だった。この課題に対処すべく、JCRファーマは遺伝子組み換え技術を自社で確立していった。
そして2021年、JCRファーマは血液脳関門通過型の酵素製剤を日本で上市した。独自技術の「J-Brain Cargo®︎」により、世界でも未踏領域の治療概念を現実のものにしたのだ。今、JCRファーマによる研究開発は、分子生物学とシステム工学が融合したデザイン型サイエンスの実践形態と言える。それでも、芦田は静かに語る。
「確かに、サイエンスのなかでやるのなら、世界でもトップレベルにいけるものを創りたいと思ってやってきました。それでも、何か私のなかに特別な熱源があったわけではないのです。私自身は、『おもしろいな〜』と思いながらやってきただけです。この50年、研究者には自由にやってきてもらいました。研究には変わった発想をする人、地道にデータをつくる人など、いろんな人が必要です。そうしたみんなが、『自分で考えて自由にやる』。それが、すべてでしょう」
「熱源などない」と静かに語る芦田は、優れた研究者であり、アントレプレナーであり、やはり禅マスターの風格も漂わせていた。彼の言う「ない」は、「虚無」ではない。概念的に表すなら、あらゆる可能性をはらみ、そこから何物でも生み出し得る「空(くう)」なのだろう。
今、「空のアントレプレナー」と「自らに由(よ)る研究者たち」が、世界のバイオ医薬品業界のなかを駆けている。
誰も置き去りにしない未来を創るために
「希少疾病」と呼ばれる病気は、ライソゾーム病の他にもたくさんある。それらに対抗する薬を生み出すための研究開発は非常に難易度が高く、莫大な費用や時間を要することになる。ビジネスとして考えれば、非効率であるのかもしれない。しかし、JCRファーマには、効率よりも優先したいことがある。
「25年9月13日、JCRファーマは創立50周年を迎えることができました。しかし、希少疾病の多くは、まだ治療法が確立されていません。その希少疾病と向き合う人が、世界には約3億5,000万人もいます。これから先の50年も希少疾病を最大のターゲットにして、すべての人に治療薬が届く未来を創り上げていきたいと考えています。失敗を恐れず、責めることなく、常に前に進むことを重視したベンチャースピリットで、これから先の50年もやっていきます」
まだ誰も治せない病気に立ち向かうアントレプレナー。その物腰、表情、語りは柔和であるが、瞳の奥には生命の根源的エネルギーとしてほとばしる「創造の光輝」が確かに浮かんでいた。
IFPMA(国際製薬団体連合会)が17年に作成した資料『希少疾患—誰も置き去りにしない未来を創る』によると、希少疾病の数は「5,000〜8,000種類」にもなるという。今、「熱源などない」と静かに語るアントレプレナーが「治療薬がない」という「絶望がない」、「誰も置き去りにしない」世界を創ろうとしている。やはり、「ない」には無限の可能性があるのだ。
あしだ・しん◎1943年、東京都生まれ。甲南大学理学部卒業後の68年、大五栄養化学(現日本製薬)に入社。75年、日本ケミカルリサーチ(現JCRファーマ)を設立。2005年に会長、07年から会長兼社長に就任。26年4月には取締役ファウンダーに就任する予定。
JCRファーマ
本社/〒659-0021 兵庫県芦屋市春日町3-19
URL/ https://www.jcrpharm.co.jp
従業員/987名(連結) 938名(単体)(2025年3月31日現在)




