リーダーシップ

2025.10.28 08:45

拙速な改革はシステムを壊す リーダーが本当に「聴く」べき声とは

それを、私自身の立場に援用すれば、教室の子どもの声を聴く、その教師の声を聴く、その教師を育てようとする校長の声を聴く、その校長たちを束ねようとする役人の声を聴く。その学校を支えようとする地域の声を聴く。その次の世代の子どもたちのことを想像する。システムの中にいる当事者が持つ合理性を理解することでしか、持続的に大きなシステムが変わっていくことはない。公共の分野では拙速な改革は揺り戻しを産むだけである。

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しかしこの「聴きあう」ということがまさにシステムの中で失われていると感じることも多い。何か問題があったとき、何かわからないことがあったときに、「誰かどこかで悪い事をしているに違いない」と決めつけてしまう弱さが私たちの中にあるからだ。政治的な思想の違いにしても、立場の違いにしても、自分の合理性を主張することに必死で、他者の合理性を認めることは容易ではない。文化人類学的な、ないしは社会学的なフィールドワークにおける訓練が求められるのである。それだけ時間のかかる営みとも言える。

もしメインストリームにいるリーダーが他者の合理性への好奇心や洞察がないままに公共に関わるシステムを変えようとすると何が起こるのか。それはエリートによる専制であったり、弱者だけでなく思想の異なる人間の排除である。その結果、より「声を聴かれなかった」と感じる人たちと断絶がより深くなり、最終的に対話が成立しなくなり「復讐」や「深刻な対立」へと進んでいく。例えばカンボジアの学校の現場であれば、エリートは公立学校に期待せず私立に行かせることに腐心している。結果として子どもたちは様々なバックグラウンドを持つ他者に会うこともなく対話することもなく大人になっていく。その先に多様な子どもを支える公教育を考えるリーダーは生まれてくるのだろうか。

だからこそ、繰り返しになるが、公教育改革こそ「できる限りゆっくりと」行われるべき類いのものだと思う。1つの教室には、子ども、教師、保護者、学校、教育委員会、役人、地域、政治、経済的な環境と全ての文脈が詰まっている。その多様なステークホルダーのルールと行動と意識を当事者である子どもの権利を中心に変容させていくことが公教育改革の要諦だと考える。意識の変容はそれぞれの人のペースでしか起こりえない。

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さらに様々な分野での公共に資するリーダーシップにまで広げて考えるならば、現場に足繁く通い続け、当事者やそれこそどうしてもわかり合えないと思える他者とも対話し続ける営みを続けていくことがリーダーシップの要件であると言える。

そしてさらに1つ付け加えるならば、時空や空間を超えるにはアカデミックな知の蓄積に触れ続けることも必要となる。公共を目指すものこそ研究者から学ぶべきである。それでこそ文脈に応答して常に対応し続ける「応答責任 = Responsibility」、専門性を育むことができるためだ。

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