米首都ワシントンでこのほど、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会が開催された。これは例年、経済学者や政策関係者が世界の現状について議論する場となっている。参加した何人かの友人によると、今年の総会の雰囲気は、夏に開かれた似たような会合よりはいくぶん落ち着いていたという。もっともそれは、「秩序ある正常な世界に生きている」という認識がもはや崩れ去ってしまったからにすぎないのかもしれない。
概して言えば、IMFの見通しでは向こう12カ月、世界経済は低水準ながらプラスの成長を維持するとされている。欧州では成長の勢いがわずかに回復し、問題だらけの米国経済も、AI(人工知能)ブームに牽引される投資支出の強力な効果によって実態以上によい成長率になる、というのが大まかな見立てだ。
グローバリゼーションの初期には、IMF・世界銀行の会合から「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれるナラティブ(物語)が生まれた。これは世界経済の発展とグローバル化に関する方針を示したものと言え、左派からは新自由主義(ネオリベラリズム)の政策レシピ集だとしてやり玉に挙げられた。
かつてIMFのチーフエコノミスト、いわばその「高位聖職者」のような役職を務めたジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大学教授は、IMFの組織運営を厳しく批判する立場に転じた。彼は2002年に『Globalization and Its Discontents(邦訳・世界を不幸にしたグローバリズムの正体)』という本を上梓し、その中ではタイトルにあるグローバリゼーションに触れたのが64回にとどまる一方、IMFには実に340回ほども言及していた。そうした批判をよそに、さらに言えば、近年の専務理事のうち少なくとも2人(ロドリゴ・デ・ラトとドミニク・ストロスカーン)が不祥事を起こすという不適切なリーダーシップもあったにもかかわらず、IMFはなお世界のマクロ経済議論の中心的存在であり続けた。
現在から振り返れば、ワシントン・コンセンサスは、まさしくそれが「コンセンサス(総意)」だったという点に価値があった。おそらくすべての国が同意していたわけではなかったにせよ、多くの国が本格的な経済発展への第一歩として受け入れられる方針を内包していたのだ。だが、そのコンセンサスはいまでは揺らいでいる。



