筆者はかねて、ドナルド・トランプ米大統領はIMFの閉鎖に動くのではないかと疑ってきた。けれど、どうも彼はIMFの存在自体を知らないか、あるいはスコット・ベッセント米財務長官がIMFの会合を非常に重視していて、中国を批判するのに好都合な場と見なしているかのどちらかであるようだ(ちなみにIMFの現在の筆頭副専務理事は、ベッセントの首席補佐官だったダン・カッツである)。いずれにせよ、いま問題なのは、IMFが今後どう変わるかというよりも、むしろそれを取り巻く世界が変わってしまったことだ。
IMFはこれまで、財政・金融の世界の救急車のような存在だった(社会科学者のデヴィッド・グレーバーはもっと辛辣で、「足を折りに来る取り立て屋の国際金融版」とこき下ろした)。その意味では、IMFが近年浴びてきた批判には当を得たものもある。とくに、ギリシャとアルゼンチンへの対応についてはそうだ(ギリシャには厳しすぎ、逆にアルゼンチンには甘すぎたと評されている)。
今日のIMFは正統派の灯台となっている。一方、経済の世界では非正統的な政策形成が幅を利かせているように見える。そうした例は枚挙にいとまがない。
IMFは、世界の公的債務残高は2029年までに国内総生産(GDP)比で100%超(1948年以降で最高の水準)に達するとの見通しを示し、なかでも米国は無謀な行動を取っていると名指ししている。だが、標準的な、言い換えれば「正統派」の処方箋である増税と歳出削減はホワイトハウスに退けられており、代わりに古めかしい政策(関税)や、「道徳的な説得(moral suasion)」ならぬ不道徳な説得による投資促進策が採られている。
他方、アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領による「チェーンソー派」の経済政策は行き詰まっていて、従来ならIMFのチームがブエノスアイレスを訪問することになっていてもおかしくない。けれど今回は違い、アルゼンチンは米国から財政支援パッケージを提供されている。とはいえ、この援助はアルゼンチン経済が抱える根本的な問題の解決にほとんど役に立ちそうにない。


