起業家

2025.10.22 12:00

​​スヌープ・ドッグも虜にした「チキンフィンガー帝国」 資産3.3兆円創業者の軌跡

レイジング・ケインズ・チキンフィンガーズ 創業者 兼 CEOトッド・グレイブズ(Matt Winkelmeyer / Getty Images)

約1年後、二人が5万ドル(約750万円)の資金を貯めてバトンルージュへ戻ったときには、信用力は格段に高まっていた。彼らは自己資金に加え、地元投資家から集めた9万ドル(約1350万円)、そして米国中小企業庁(SBA)による5万ドルの融資を原資に、LSU(ルイジアナ州立大学)北門近くの物件を確保した。経費を抑えるため、メニューボードから木製パネルの壁、トイレの配管まで自分たちで施工した。また、中古の厨房機器やレストランブースを探して、レンタルトラックで走り回った。グレイブスは地元の食材業者と協力し、かつて働いたガスリーズの味をベースに、独自のレシピを作り上げた。(彼によれば、ガスリーズの少し厚めのクリンクルカットは中が柔らかすぎ、テキサストースト[厚切りのトースト]も密度に欠けるという)。開店準備に追われる中、彼は後に25年連れ添うことになる妻グウェンと出会う。当時、彼女は近隣のマクドナルドのフランチャイズオーナーで、二人は「フライドポテトに塩をどう振るか」という話題で意気投合した。

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グレイブスとシルヴィーは、アラスカでの鮭漁の経験にちなみ、店名を「ソックアイ(紅鮭)」にしようと考えていた。しかし、友人がグレイブスの飼い犬だったラブラドール・レトリバー「レイジング・ケイン(Raising Cane)」を店名にするべきだと提案した。この名前は、聖書に由来する慣用句「Raising Cain(騒動を起こす)」の綴りをあえて変えたものだ。現在、3代目となるレイジング・ケイン三世はチェーンの公式マスコットとして活躍し、インスタグラムのフォロワー数は10万人を超える。

レイジング・ケインズの一号店は、1996年8月に開店した。当初のメンバーは、グレイブスとシルヴィーに加え、レジやフライヤーを担当する8人のスタッフで構成されていた。初月の利益はわずか30ドルにとどまったものの、その後、順調に拡大していった。開店から半年後、グレイブスはSBAの融資機関を説得し、LSUキャンパス南側の閑静なストリップモール近くにドライブスルー併設の二号店を開業した。「客層が変わってきた。日曜にはティーボール(ピッチャーのいない野球、ソフトボール)のチームが訪れ、仕事帰りの母親や父親、ランチタイムにはビジネスマンも来るようになった」とグレイブスは語る。

しかし、シルヴィーは、週100時間にも及ぶ過酷な労働に限界を感じ、MBAの取得を経て、当時隆盛を極めていたシリコンバレーのウェブ1.0ブームに身を投じたいと考えるようになった。1999年、グレイブスは数十万ドルを支払い、賃貸契約や銀行債務からシルヴィーの名前を外すことで合意した。27歳の若者にとって、わずか数年の働きに対する報酬としては十分に思えただろう。しかし、もし彼が持分を維持していたとすれば、現在ではその価値は100億ドル(約1兆5000億円)を超える計算になる。シルヴィーはグレイブスとの友情を保ち続け、後にレイジング・ケインズの経営幹部として6年間復帰した。現在は同社株式の0.5%未満を保有している。ルイジアナ州のITサービス企業ClowdCoverでCFO(最高財務責任者)を務める彼は、当時の決断についてこう振り返る。「後になってからなら、いくらでも意見を言える。しかし、あの時点で残るという選択肢はなかった。あまりにリスクが大きかった。まるでルーレットで、ずっと黒に賭け続けるようなものだった」。

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一方、グレイブスは勝負を続け、2000年までに6店舗、2004年までには24店舗を追加した。「徹底的に投資を行い、攻めの経営を貫いた。リスクに対する許容度は非常に高かった」と彼は振り返る。彼の資金調達法はこうだ。投資家から年利15%で劣後債を調達し、残りの資金を地元の銀行から借り入れた。銀行は劣後債を自己資本とみなしたため、実質的に自己資金ゼロで必要資金を全額調達することができたのだ。「決して賢い手法ではなかった」と彼は認める。2005年8月にハリケーン・カトリーナが直撃した際、28店舗中21店舗が営業不能に陥り、事業は倒産寸前まで追い込まれた。グレイブスは必死に融資元と交渉し、二度と会社を同じ状況に陥らせないと心に誓ったという。

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編集=朝香実

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