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2025.10.22 12:00

​​スヌープ・ドッグも虜にした「チキンフィンガー帝国」 資産3.3兆円創業者の軌跡

レイジング・ケインズ・チキンフィンガーズ 創業者 兼 CEOトッド・グレイブズ(Matt Winkelmeyer / Getty Images)

グレイブスには、生まれながら人を惹きつける語りの才能がある。父は自動車延長保証のセールスマンで、かつてNFLのニューオーリンズ・セインツで数シーズンをプレーした経験を持つものの、当時は大金を稼げる時代ではなかった。幼少期のグレイブスはレモネードスタンドを開き、友人を雇って芝刈りサービスをはじめ、縁石に家の番号を描く仕事まで手がけた。ちょっとした工夫を加えることで、競合との差別化を図っていたという。さらに彼は、『ドゥージー・ハハと兄弟たちの冒険』というテレビ向けの人形劇の脚本も手がけ、将来はハリウッドの映画スタジオで働くことを夢見て、ジョージア大学で電気通信を学んだ。しかし、より現実味のある挑戦として、自らのビジネスを始めるという衝動が彼を突き動かした。

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ファストフード業界を選んだのは、必然だった。高校時代から飲食店で働き、母親と何時間もかけて地元の伝統料理であるガンボを作ることが日常だったからだ。「食べ物こそが愛の象徴だった」と、彼は当時を振り返る。

1990年代までに、鶏肉は米国人の食卓において牛肉を追い抜き、骨なしストリップチキンはTGIフライデーズやアップルビーズといった全国チェーンで人気を博していた。その頃、アラバマ州発の小規模チェーン、ガスリーズが登場し、ジョージア大学をはじめとする大学キャンパスに店舗を拡大していた。店員として働いていたグレイブスは、学生仲間にチキンフィンガーとクリンクルフライ(ジャガイモを波型にカットして揚げたフライドポテト)を販売していた。彼は、LSUに在籍していた幼馴染であるクレイグ・シルヴィーに対し、同じような店を始めることを提案した。

ちょうどその頃、シルヴィーは授業でビジネスプラン作成の課題を抱えており、二人はチキンフィンガー店のコンセプトを提出した。計画書には、エプロンの費用からトイレットペーパーのブランドに至るまで、細部にわたる数字が盛り込まれていたが、成績はBマイナスだった。「教授からは、計画自体は優れているが、コンセプトに欠陥があると指摘された」とグレイブスは話す。当時、大手チェーンは品揃えを拡充し、健康志向のメニューへのシフトを進めていたため、教授はより多くの選択肢を提供する必要があると判断したのだ。しかし、グレイブスは納得していなかった。「私は、当時よく通っていたレストランで毎回同じものを注文していた」と彼は語る。

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グレイブスとシルヴィーは、古い鶏の爪で手首を引っかき、血の誓いを交わした。彼らはプロフェッショナルに見えるよう、オフィスデポで安価なブリーフケースを二つ購入して銀行回りをしたが、融資はことごとく断られた。銀行の担当者は、ビジネスプランも二人の経営能力も信用しなかったのだ。「決して愉快な経験ではなかった」と、シルヴィーは振り返る。

開店資金を迅速に貯めるため、グレイブスはロサンゼルスでボイラー工としての職を得て、石油精製所で溶接作業に従事した。彼は、アラスカのブリストル湾での商業用紅鮭漁が儲かると耳にすると、シルヴィーと共に北へ向かった。二人は高速道路脇にテントを張って旅を続け、目的地に到着すると船長を説得して複数の漁船に乗り込んだ。「船同士がぶつかるほどの大漁だった。上空にはナショナルジオグラフィックの飛行機が飛び、医療用ヘリが駆けつけ、無線からは誰かが亡くなったという知らせが聞こえてきた」と、グレイブスは当時を振り返る。

「鮭漁をしていると聞いたときは心配だったが、息子はいつも電話をくれた」と、グレイブスの母親、ゲイは話す。

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編集=朝香実

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