サイエンス

2025.11.05 15:15

量子技術の国際競争、慶應 伊藤公平塾長が強調する「実装志向と連携」の重要性

伊藤公平慶應義塾長(学校法人慶應義塾理事長 兼 慶應義塾大学長)

伊藤公平慶應義塾長(学校法人慶應義塾理事長 兼 慶應義塾大学長)

本連載では、エンゲージメント戦略分野を得意とする戦略コンサルティング・ファーム、ブランズウィック・グループが発行する国際的な知見誌Brunswick Reviewから、グローバルの最前線でマルチステークホルダー・エンゲージメントを実践するヒントを探っていく。

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第2回はBrunswick Social Value ReviewのIssue 6「AI Impact」に掲載された、慶應義塾大学塾長・伊藤公平氏へのインタビュー記事をご紹介したい。

量子技術の競争

量子コンピュータは、従来の古典コンピュータが扱えない計算問題、たとえば大規模な組み合わせ最適化、材料設計、量子化学シミュレーション、暗号解読・量子通信などにおいて革命的な可能性を秘める技術だ。いまや単なる研究対象を超え、世界の経済や安全保障の枠組みを大きく変えうる技術として注目されている。

従来型コンピュータが扱えない計算問題を解決する可能性を持ち、金融、物流、製薬、エネルギー、さらには防衛や暗号通信の分野にまで影響を及ぼす。そのため、米国では国家量子イニシアティブ法の下、政府・大学・企業が連携し、中国も国家重点プロジェクトとして巨額の予算を投じている。欧州でもEU全体で「Quantum Flagship」が推進され、共同研究を進めている。IBMやGoogleといった大手企業も量子コンピュータ研究開発を競って加速させている。

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日本もまた、量子技術を「新たな価値創出のコアとなる基盤技術」と位置づけ、政策的支援の整備を進めている。たとえば、内閣府が掲げる研究開発構想では、2050年までに「汎用量子コンピュータを実現し、経済・産業・安全保障を飛躍させる」ことを目指すというビジョンが示されている。

量子技術の競争は、もはや純粋な技術開発を超え、国家安全保障の文脈に組み込まれている。防衛研究所の報告では、量子コンピュータがRSA暗号を破るには数千万量子ビット規模が必要とされ、その到達は2030〜40年代と予測されるが、それ以前から「暗号の安全性に備える動き」は始まっている。この分野で遅れを取れば、経済安全保障上の大きなリスクとなるだろう。

伊藤塾長が語る「量子の現場」

日本の科学技術史を振り返ると、「技術は優れているが実装に弱い」という構造的課題が繰り返し指摘されてきた。半導体や家電、自動車などの分野では高度な技術を有しながらも、国際市場での競争力を長期的に維持できなかった例は少なくない。量子分野でも、基礎研究では優れていても「社会実装」や「国際連携」に欠ければ、量子の時代にも同じ轍を踏む危険がある。

慶應義塾大学の伊藤公平塾長が率いる量子コンピューティングセンターは、量子技術の社会実装に取り組む産学連携拠点である。IBMからも「世界で最も成功している拠点の一つ」と評価され、量子技術の国際競争において日本を先導する役割を担っている。このインタビューは2023年末に日本で行われた。

インタビューで伊藤塾長が強調するのは、「実装志向」と「連携」の重要性である。慶應義塾大学量子コンピューティングセンターでは、メガバンクをはじめ、ソニー、トヨタ、ソフトバンク、化学大手各社などが研究者を派遣し、大学の研究者と肩を並べて実証研究を進めている。

従来、競合同士である銀行が同じ研究室に人材を送り込み、量子アルゴリズムの共同開発を行うことなど想像しがたかった。しかし実際に行われた共同研究では、金融商品の価格計算に8時間かかっていたモンテカルロ・シミュレーションを量子計算で最適化し、慶應と複数の銀行が連名で論文を発表する成果につながった。これは、競争と協調の境界を超える「オープンイノベーション」が、量子時代の新しい研究開発モデルとなりうることを示している。

また、伊藤塾長は「量子技術は安全保障とも直結する」と指摘する。量子コンピュータは将来的にRSA暗号など従来型の暗号を解読できる可能性を秘める一方、量子暗号や量子通信によって理論上安全な通信を実現できる。各国が量子研究に力を入れる背景には、こうした経済的・地政学的なインパクトがある。

だからこそ、伊藤塾長の実践する「産学官・異業種連携によるオープンイノベーション」は、日本の課題克服にとって大きなヒントとなる。

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