「危険運転に数値基準案 法制審部会 速度、飲酒で明示」
一面トップ記事で、三面に解説記事もついていた。それによると、自動車運転処罰法が定める危険運転致死傷罪の要件のうち、速度や飲酒量の基準値を数字で具体的に示す改正案が法制審議会で示された。
例えば、制限時速60kmを超える場所では超過速度50km(A案)か60km(B案)。つまり制限時速100kmの道路なら150km(A案)か160km(B案)以上で適用。
アルコール濃度は血液1ml中に0.5mg(A案)か1.0mg(B案)以上、呼気1ℓ中に0.25mg(A案)か0.5mg(B案)以上で適用、といった具合だ。
このほか、車輪を滑らせる危険なドリフト走行なども対象となる。
早ければ年内にも結論が出るとのことだ。
同紙の解説記事「核心」では、数値基準案の課題も俎上に乗せている。「運転手の技術や身体的特性、道路状況は千差万別で、万人が納得できる設定は容易ではない」。
確かにその通りだが、すべての公的基準には同質の課題がついて回る。数字という物差しだけで罪の重さを決めるのには無理があるというわけだが、問題はどこにどう線引きをするか、その時代時代で社会の実情を的確に反映しているかという点にある気がする。
あおり運転などが社会問題化しているのは、先進国のなかで経済的な遅れを取り、“失われた30年”に心の余裕をなくして苛立つ人たちの表れとみるのは、うがちすぎだろうか。
そう考えた時、今回の数値提示は妥当な線ではないかと思える。もちろん、先日の名古屋駅での死亡事故のようなケースもある。70代男性運転の軽乗用車がカーブを曲がり損ね、通行人3人がはねられた。この事故は飲酒面でも速度超過の面でも今回の試案には該当しないが、危険運転致死傷罪で立件される見通しだ。つまり、ケースバイケースで判断するほかないこともある。
精神科医の目で見ると、なぜ人は危ないとわかっている運転をするのかという議論は避けて通れない。
これは仮説だが、スピードを出すことやアルコール運転で「トリップ」(つかの間の気分高揚)をすることができるからではないか。
おそらく、加害者の精神病理を分析しても、アブノーマルさはそれほど検出されないかもしれない。ただ、「トリップ」することで解放感を味わいたいほど日常のストレスが溜まっていることは、容易に推測できる。脳科学のミクロな視点で言い直せば、ドーパミンが過剰に出るのにハマってしまいやすい人たちがいるということだろう。
奥さんから渡されたYの形見
事故から1カ月が経った日、Yの奥さんに話を聴いた。
「現場は自宅から歩いて数分のところです。会社の人と会食して、お酒はビールをコップに一杯程度。横断歩道のない場所だけど、植え込みに切り込みがあって、住民はみんなそこを渡ります。現場より前の防犯カメラでは主人の足取りはしっかりしてたようです」
Yに全く非がないことを再確認できた。辛いのをこらえ、気持ちをきいた。
「喪失感だらけです。リビングで、行ってらっしゃい、行ってきますって交わして半日しかたってないのに。ただの平凡な家族でした。心臓手術して、また旅行も行けるねって、、、」。
そして、奥さんからYの“形見”を渡された。


