さらに、オーストラリア大陸の乾燥した気候と山火事に適応した生態系は、かく乱の影響を特に受けやすい。気候変動の加速と、土地使用の激増に伴い、フクロオオカミを滅ぼしたのと同じ圧力に直面する種が増えている。
脱絶滅(De-Extinction)の誘惑(と限界)
近年では、フクロオオカミは「脱絶滅(De-Extinction)」の象徴的存在になっている。脱絶滅とは、絶滅した種を遺伝子工学によって「復活」させる科学的な取り組みを意味する。
フクロオオカミのゲノムが2017年に解読されたことを受け、一部の研究者の間では、現生の有袋類を代理母としてフクロオオカミをよみがえらせる可能性が研究されている。
これは、研究路線としては極めて興味深いものの、限界をしっかり認識しておくことが重要だ。絶滅した生物の再現は、課題の一部にすぎない。生態系における役割を復活させ、変化した環境で確実に生き延びられるようにし、前回と同じ要因で再び絶滅するのを防ぐことは、それよりもはるかに困難で、その点を考慮する必要がある。
保全生物学の観点から言えば、脱絶滅に必要とされる労力と資金を、現時点でまだ生き延びるチャンスのある絶滅危惧種の保護に投じる方が、より大きな効果を得られるのではないだろうか。
フクロオオカミの教訓
フクロオオカミの絶滅は、単に一つの種が絶滅したという悲劇にとどまらない。人間の圧力を受けた複雑な生態系が、いかに急速に破綻するかを示すケーススタディでもある。さらに、思い込みや政策、経済が科学を踏みにじれば、広く分布している種でさえ危機に陥るという警告でもある。
保全生物学者は現在もまだ、フクロオオカミが失われたことによる影響の解明に取り組んでいる。フクロオオカミの絶滅は、タスマニア島、捕食者と被食者のダイナミクス、生態系のレジリエンス、生物多様性の管理者としての私たちの責任をめぐる考え方に影響を及ぼしてきた。
「最後のフクロオオカミ」の写真から得られる教訓があるとするなら、それはこういうことだろう。絶滅は不可避ではない。絶滅はプロセス、それもしばしば人間が導くプロセスであり、停止させ、逆転させ、防止することができる。だがそれは、「最後の写真」が撮影されるよりも前に我々が行動を起こす場合に限られる。


