突き付けられた、「ダイバーシティ」の狭い捉え方
そもそもなぜ木下さんは、LGBTQ+に関した取り組みに力を入れるのだろうか。それは、幼少期の体験にさかのぼる。
9歳から12歳まで、カナダのトロントで過ごした。同世代の友人に「ゲイパレードに行ってみない?」と声をかけられたのは10歳の時。予定が合わず参加できなかったが、多様性が根付く場所で暮らしたという実感がある。 さらに、自身も小学生の時に「女の子」と言われるのが嫌だった。それから逃れるように、ニュートラルな(一般的に男の子っぽいと言われるような)服装を好んでいた。そのせいか、女子トイレに入るのを止められたこともあった。
加えて、欧米圏でアジア人として過ごしたことも考え方に影響を与えたとも感じている。つまり、「マイノリティ」として生きる経験をしたことが、あらゆるテーマに目を向ける原点になっているようだ。
2001年に入社したリクルートでは、自分が思う「ダイバーシティ」の範囲が狭いのではないかと自省する体験もした。
木下さんは2009年から2014年にかけて3人の子どもを出産し、自身も仕事と子育ての両立に頭を悩ませてきた。リモートワークを推進するなど社内整備を推し進める一方で、2人目以降は育休を取らず、産後2カ月で職場に復帰。「女性だから育休を取るのは当然」というジェンダーバイアスへの抵抗だった。
自分事としても取り組んできた「女性活躍」の推進だったが、女性社員向けの研修会を開いた時に、いくつか「クレーム」が寄せられたのだ。それは、「女性活躍」は「女性だけ」の問題ではないとか、「男女」という区別を出した瞬間に傷つく人がいるという内容で、目が開かされる思いがした。
「思いを寄せてくれた人の中には、トランスジェンダーの当事者もいたのではないかと思います。私も子どもの時に『女の子』って言われるのがあんなに嫌だったのに、と思い直して。このテーマについてもっと深く考え、深く関わりたいと思うようになったんです」
こうした経験も経て、LGBTQ+に関する社内向けの勉強会を主催。そこで、「実は私も当事者で……」と、個人的なカミングアウトをしてくれた社員が何人もいた。「こんなにリベラルな会社でも言えない人がいるんだ」。もっと取り組みを進めたいと考えていたところに転職が決まり、後ろ髪を引かれるような気持ちで広島に移った。
何か引き続き取り込めることを━━そう願いながら過ごす日々の中で、2024年10月、隣県のプライドパレードに足を向けたのだった。


