映画

2025.09.30 16:15

お米が主役の映画に日本の農業の姿を見る|「ごはん」

kazoka / Shutterstock.com

安田監督は、住宅街のロケ地にも使われた京都・城陽の出身で実家が農家。作品中、京滋バイパスの高速道路が背景に見える広い水田は、伏見区・宇治区・久御山町にかけての巨椋池土地改良地区で、四年もかけて撮影されている。そのカメラワークは、さまざまな自然光のもとで広大な水田を画面一杯に捉える一方、ヒカリと共に稲作を体験しているかのような感覚を見る者に喚起する、多数の細部描写で成立している。

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一面に広がる青々とした若い稲、弁を操作すると一斉に放流される水の勢い、土用干しで乾かした土に残ったタニシの貝殻、ひび割れた田に水を入れると一気に潤う土、カエルや虫、出穂したまだ青い稲、次第に垂れてくる稲穂、強風にザワザワと波打つ田圃、穂の中に育った米の硬さ、黄金色に輝く田園。7月から収穫期までの田圃のさまざまな表情が、非常になまなましく美しく伝わってくる。

稲刈りが終わると米を乾燥機、次いで臼引き機、最後に米選機にかけた後、袋詰をし、田を預かっている各家に配達するという一連の作業も、丁寧に描かれる。炊飯器で炊きあがった新米をヒカリが嬉しそうに口に運ぶシーンでは、誰しも炊き立てのご飯が食べたくなるだろう。

こうした中で印象に残るのは、米農家の立たされた苦しい立場だ。故障したコンバインの代わりが手配できず、手で刈り取らざるを得なくなった場面で、そのあまりの重労働に耐えかねたヒカリは「なんでこんなしんどいことしてるの? 食べていくのがやっとなのに」と源八に不満を漏らす。

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源八は田圃の美しさや労働の喜びを素朴に語るが、ヒカリは「ロマンチストやね」と一蹴。ヒカリの言葉は、源八を飛び越えて亡き父に向けられている。

専業米農家といっても零細から大規模会社経営まであるが、2024年9月9日の朝日新聞によれば、2020年の農業所得の平均が17万9千円だったのに対し、21、22年は1万円と大幅に下落した。時給に換算すると10円になってしまうという。多くの農家が赤字経営というのもよく耳にする話だ。

基幹的農業従事者数はこの25年ほどの間に半減しており、2024年の平均年齢は69歳。しかし農地を一年以上放置しておくと、耕作放棄地と見做され固定資産税の特例が適用されなくなるため、農業を継続している農家などに貸し出して耕作を依頼するのだ。

ヒカリの父は30件もの農家から田圃を預かっていたが、それでも「食べていくのがやっと」だったに違いない。そもそも1万5千坪もの田圃を一農家で管理するということ自体、かなり無理がある。映画では今後、時々は周囲の人の助けも借りつつ、ヒカリと源八が稲作を継承していくだろうという希望で終わっているが、現実には厳しい問題が山積しているだろう。

文=大野左紀子

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