こうした中で、子供の頃に体験した母の臨終をめぐって、ヒカリと父の間に長らく潜在していた齟齬が明らかになってくる。一方で、周囲の人々の話から知った、田圃を守りつつ地域の稲作の継続を真剣に考えてきた父の生き方が、徐々にヒカリの心に沁みてくる。
自分で作った新米を食べ、今度は田植えを教えてほしいとヒカリが源八に告げる場面で、彼女が亡き父と和解し父の遺志を継ぐ決意をしたことが暗示される。
つまりこのドラマは、父とは距離のあった子が、父の死後に幾多の困難を打ち破って跡目を継ぐという、「ハムレット」的な王位継承物語がベースになっている。そうした説話構造から見ると、『ごはん』に一番近い映画は『フィールド・オブ・ドリームス』だ。父に反発して家を飛び出したレイは父の死に目に遭えなかったが、遺志を継いで農地を野球場にし、そこで父の幻に出会う。『ゴッドファーザー』、『ライオン・キング』などもこうした話型の作品である。
『ごはん』の特色は、娘を主人公にすることで、息子なら普通とされる家業の継承にハードルを作っている点だ。父の葬儀の席で「跡取りがおったらな」と呟く近所の人の台詞は、当然「娘では無理だろう」を含意している。
「父と娘」ではあるが物語の構造が古典的であるせいか、ストーリーにはほとんど意外性がない。勘のいい人なら、最初の10分くらいで途中の展開からラストまで予想できるだろう。
登場する人物たちも、ある意味では見慣れたキャラクターばかりである。若干の鬱屈を抱えつつも、父親譲りの根性で奮闘するヒカリ。彼女の感情の起伏はとてもわかりやすい。ヒカリの父を師と仰ぐちょっと不器用で生真面目な青年、源八。彼はその風貌も相まってコメディリリーフ的な役割を果たしている。
ヒカリを見守り、時に助言もしてくれるおおらかな西山老人(福本清三)。彼はこういうドラマで必ず登場する老いた「知恵者」だ。もしや敵対的感情を持っているのでは?と思わせておいて、急場を救ってくれるぶっきらぼうな農夫。そして回想シーンで登場する、働き者で実直・無口だが人々の田圃を守るために体を張っていた父。父の古びた麦わら帽子が、ヒカリと父の関係性の変化を示す重要な小道具として登場している。
悪人は一人も登場しない。このドラマには、宮崎駿や細田守のアニメにしたらぴったり来るかもしれないと思えるような雰囲気が漂っている。
しかし、本作がアニメでは決して表現し得ず、絶対に実写でなければならなかった理由がある。それは一番の主人公が「米」だからだ。


