食&酒

2025.09.23 12:00

現代スコッチウイスキー誕生の18世紀初頭、「オランダ人」が果たした重要な役割

The Liquid Antiquarian(YouTubeスクリーンショット)

スコッチウイスキー生産におけるオランダの遺産

スコッチウイスキーへのオランダの貢献は、現在も生産の中核にある基本的な実務の標準化に及んだ。これには、ホップを使わない完全発酵、制御された二回蒸留、「cut」(カット、蒸留液の最初と最後を捨て中間の良質の部分を残すこと)による最もクリーンな留分の抽出、密閉樽での慎重な熟成が含まれる。モトリーは、オランダ人蒸留家が詳述したいくつかの技法を次のように説明する。「ウォッシュを冷たく保つこと、ゆっくり蒸留すること、焦げに注意すること……カットを取り、最初の味と最後の味が中間の味とまったく異なることを理解すること。発酵を丁寧に扱うことです」。

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しかし、これらの革新はスコットランド全土で一様に採用されたわけではない。ブルームとモトリーによれば、18世紀後半にはジャコバイト蜂起(Jacobite Uprising)を含む大規模な社会・政治の動乱が起こり、さらに蒸留への重税が発展を阻害した。政府は業界に重税を課し、扱いにくい規制を導入し、ウイスキー生産に新たなくさびを打ち込んだのである。

その結果、18世紀末までには平地のローランド(Lowland)蒸留所と高地のハイランド(Highland)蒸留所の間に明確な分岐が生じた。前者はこうした難条件のため低品質のスピリッツを生産し、後者は違法ながら高品質のウイスキーを生み出して高い需要を獲得し、収税官=エクサイズマン(excisemen)との攻防はスコッチウイスキー史における人気の高いロマンチックな物語を形作ってきた。

モトリーは、この高品質な違法ウイスキーが、もともと支配階級によって広められたオランダの知識の産物であった可能性を皮肉だと捉えている。1823年の物品税法である Excise Act(エクサイズ・アクト)により違法な蒸留は大幅に抑えられ、ウイスキーの製造方法や蒸留所建設に関する明確な指針が定められた。これはスコッチウイスキーの新時代を告げるものではあったが、同法が定めた厳格な生産基準は目新しいものではなかった──オランダ人が100年も前にこの貴重な情報を提供していたのだ。

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スコッチウイスキーの歴史を理解するとは、こうしたオランダ人の蒸留家(および医師、錬金術師、化学者)の役割を認識することを意味する。彼らの知見は、ばらつきの大きい家内的生産から、より方法論的で再現可能なプロセスへとウイスキーづくりを進め、今日、世界中で楽しまれるスコットランドの最も象徴的な産業の基盤を築いたのだ。

forbes.com 原文

翻訳=酒匂寛

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