食&酒

2025.09.23 12:00

現代スコッチウイスキー誕生の18世紀初頭、「オランダ人」が果たした重要な役割

The Liquid Antiquarian(YouTubeスクリーンショット)

スコッチウイスキーへのオランダの影響

18世紀初頭までに、オランダ人は蒸留の専門家として確固たる地位を築いていた。モトリーによれば、これはウイスキーになり得る蒸留物も含んでいた。「彼らは麦芽の蒸留に関するあらゆる知見を備え、徹底した合理的プロセスを持っていました。誰よりもうまくやる方法を編み出していましたし、科学的と呼んでもよいアプローチを取り、きちんとした手順があり、決して行き当たりばったりではありませんでした」。

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モトリーとブルームの研究では、オランダの知識がスコットランドの蒸留家と共有された最も明確な例が明らかにされた。1743年の出版物『The Select Transactions of the Honourable Society of Improvers in the Knowledge of Agriculture in Scotland』(スコットランド農業知識向上協会選集)では、スコットランド在住のオランダ人蒸留の専門家ヘンリクス・ファン・ウィンガールデンが、苦境にあった蒸留家グロートからの技術的な質問に答えている。ここでファン・ウィンガールデンは、完全発酵の確保、ウォッシュ(発酵液)の二回蒸留、前回留分の「フェインツ」(feints/後留)の再利用、ホップの不使用、熟成時には樽の栓口(バングホール)を密封しておくことなど、クリーンで上質なスピリッツを造るための詳細な指示を与えている。これらの実践は、今日のスコッチウイスキーの製法と極めて近い。

ファン・ウィンガールデンはスコッチウイスキーにとって真に重要な人物である。1720年代に同国に到着し、蒸留所の設立を望む地主のコンサルタントとして活動していたようだ。オランダの蒸留知識が広く普及していたことを示す例として、1736年付の新聞Caledonian Mercury(カレドニアン・マーキュリー)の記事でも、やはりオランダ人蒸留家の影響を受けた最善の蒸留手法が提示されており、その指針の写しがスコットランド各郡の治安判事(Justices of the Peace)に配布されて農村の蒸留家と共有されると記されている。

モトリーが挙げるもう1人の重要なオランダ人は、近代科学を代表する人物の1人ヘルマン・ブールハーフェである。医学研究の概念と近代化学を切り拓いた医師・化学者である彼の主著『Elements of Chemistry』(化学の基礎)には、蒸留に関する詳細な指針が含まれている。彼自身はスコットランドを訪れていないものの、ブールハーフェはスコットランド啓蒙と強い知的つながりを持ち、彼が拠点としたライデン大学はスコットランドの思想家と多くの関係を有していた。「つまり、最も著名な科学者の1人が、効果的な蒸留のための詳細な手順を書き残したのです……これは驚くべきことです」とモトリーは説明する。

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ヘルマン・ブールハーフェ(パブリックドメイン画像)
ヘルマン・ブールハーフェ(Wikipedia/パブリックドメイン画像)

さらに、イングランドを拠点としたオランダ人の医師・錬金術師・蒸留家ウィリアム・Y・ワース(発音はおそらく「ヤーワース」)は 1705 年に『The Compleat Distiller』(蒸留家大全)を出版した。彼はイングランドで目にした蒸留酒の品質の低さを発奮材料とした。問題に対処するため、Y・ワースは効果的な蒸留だけでなく、蒸留設備の建設方法にまで踏み込んだ詳細な指示を提供している。本書の大部分は、蒸留によって得られる各種の薬理学的・錬金術的物質に関する詳細なレシピで占められている。

これらオランダの人物たちがもたらしたのは、スコットランドの蒸留における一貫性、品質管理、そして実践的な科学である。それ以前には蒸留がどのように行われていたかに関する記録はほとんど存在しない。「それ以前には、そのことについて書かれた記録はほとんどありません……そして、ここには非常に丁寧に書き留められたプロセスがあります」とモトリーは述べる。

また、ファン・ウィンガールデンの助力で設立された多くの蒸留所は歴史の記録上から姿を消しているが、蒸留技術の広がりにおいて彼らの影響は生き続けた可能性がある。

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翻訳=酒匂寛

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