音楽

2025.09.22 14:15

【30UNDER30は今】17歳で世界デビューしたSuperorganismオロノに起きた「その後の7年」

父親の友だちというのは、若い頃から彼がアメリカを旅してまわり、音楽フェスなどで親しくなった人々だ。やはり、もつべきものは偏愛といえるほどの趣味なのだろう。「好き」というレベルを超えた偏愛は、語り合える仲間をつくり、それが子どもの代まで世話を焼いてくれる。

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オロノの行動はトムさんの生き写しとしか思えなかった。トムさんは結婚してオロノが誕生したあとも、スライドギターの名手、デレク・トラックスのライブを追っかけている。デレクは11歳の時にオールマン・ブラザーズのステージに立つ凄腕ギタリストだが、その天才プレーヤーの楽屋にトムさんは子どもを連れて入り、さらにオロノの妹や弟が生まれたときはデレク・トラックスに「名づけ親になってください」と頼み込んでいる。熱意に圧倒されたデレクと彼の妻のスーザン(彼女も著名なギタリスト)は、本当にオロノの弟の名づけ親となった。こんな行動力を子どもの頃から見せられれば、父の友人宅を泊まり歩くなんて息を吸うように当たり前のことだろう。

こうして彼女はバンドを離れ、曲をつくったり、文章を書いたり、絵を描いたりしながら、時々日本に戻り、そしてアメリカを放浪し続けた。その間、日本のホンダ・ステップワゴンのCMで「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」を歌ったり、ビルボードライブ東京と大阪でベン・クウェラーと一緒に来日コンサートを行ったり、ラジオのレギュラー番組をもったり、雑誌に英語で連載コラムをもったりと、自分の道を見つけたようだった。しかし、その間、父親は格闘しなければならないことがあった。

彼は生活のための「食う仕事」を辞め、数年前に創業した小さな会社にレコードレーベル事業を加えたのだ。大変だったのは新規事業にあたって音楽業界の難解かつ膨大な契約書類や法律を英語で理解しなければならないことだった。素人では到底不可能な作業に日夜打ち込み、最終的にはエンターテインメントを専門とする著名な弁護士のサポートを受けながら取り組んだ。

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「音楽業界は昔と違って、アルバムをつくってリスナーに買って貰うと売るという単純なものではなくなっています」と、トムさんは言う。音楽はストリーミングが中心になっているため、著作権情報を登録・管理する中間業者と契約をして、マーケティング戦略も複雑になった。

「ストリーミングは膨大な作品の中からいかにリスナーにリーチし、たくさん聴いて貰えるかが全てです。でも、私は自分の好きな音を、自分が楽しいと思える音を、信頼するアーティストと一緒につくって自分のレーベルから出してみたい。誰もできないようなコラボレーションを企画して、リスナーを驚かせたい。そりゃぁ、売れればいいですし、売れないと困りますけど、それを目的にしたくはないんです。オロノや一緒にやってくれるアーティストのために仕事をして、アーティストが最も潤うフェアな環境を用意したいです。売りたいんだったら、インフルエンサーをうまく使ってバズらせましょうなんていう話は、本当に聞きたくないんです」

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文=藤吉雅春

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