14人以上のビリオネアがファストフード店で学んだこと
レストランの仕事を通じて、企業経営の初歩を学んだビリオネアは、ベゾス以外にも数多くいる。フォーブスの調べでは、少なくとも14人のビリオネアがかつて、ファストフード店で最低賃金で働き、長時間の調理場の仕事、トイレ掃除、ごみ捨てなどに従事していた。ベゾスはその中でも最も象徴的な存在だ。
暗号資産取引所バイナンス創業者のCZ(チャンポン・ジャオ)も、バンクーバーのシェブロンで夜勤の仕事に就く前に、マクドナルドでハンバーガーを焼いていた。ファストフード業界のビリオネアのトッド・グレイブスは、チキンフィンガー専門チェーン「ガスリーズ」で働いた後に、競合チェーンを立ち上げた。スウェーデンのフィンテック界のビリオネア、セバスチャン・シェミャトコフスキも、バーガーキングのグリル担当として働き、当時の同僚だったニクラス・アダルベルトと出会った後にクラーナを共同創業した。
時給500円で学んだ教訓
ロックスター・エナジー創業者のラス・ワイナーも、カリフォルニアのウェンディーズで時給3.5ドル(約510円)を稼ぎながら、調理場やドライブスルーを任されていた。当時15歳だった彼は制服姿を見られるのが恥ずかしく、普段着でバスに乗り、友人にはスポーツ用品店で働いていると嘘をついていた。だが今では「どんな仕事も恥じるべきではない」と振り返る。
また、顧客からお釣りをチップとしてもらったことも強く記憶に残っている。「わずか1.5ドル(約219円)だったが、1986年の最低時給は3.5ドル(約511円)だった」と彼は語り、その経験が後の自身のお金に対する考え方や、社員への報酬の与え方に影響を与えたと述べている。
エヌビディアやリンクトインを支援したベンチャーキャピタリストのマーク・スティーブンスも、カリフォルニア州カルバーシティで16歳のとき、ジャック・イン・ザ・ボックスで時給2.5ドル(約365円)でフライドポテトとオニオンリングを揚げていた。「私はあの仕事で在庫管理やマネージメントについて学んだ」と彼は語った。
エヌビディアのジェンスン・フアンCEOは、内気さを克服
世界で10番目の富豪、エヌビディアの共同創業者兼CEOのジェンスン・フアンも、台湾から移住した後の15歳の頃に、オレゴン州のデニーズで皿洗い、テーブルの片付け、トイレ掃除に追われた(「目を覆いたくなるようなものもあった」と彼は語る)。彼は、やがてウェイターに昇格し、注文を取り、料理を運び、コーヒーを注いだ。この仕事は彼の内気さを克服するきっかけになり、シリコンバレーのテクノロジー好きな仲間との関係を築くのに役立ったとファンは明かしている。そして1993年、彼と共同創業者はコーヒーを飲みながら、パソコン向けにリアルな3Dグラフィックスを可能にするチップを構想し、その会社をエヌビディアと名付けた。
一方で、ファンやベゾスのようにレストランから離れた業界で成功を収めたビリオネアもいれば、この業界にとどまって自身の事業を築いて富を築いた者もいる。


