こうした文化戦争は、これまでも、映画やテレビ番組、ビデオゲームや広告をめぐって争われてきたが、今回のロゴ騒動は、これまで最も不可解で的外れな小競り合いといえるかもしれない。
当のクラッカー・バレルは、米フォーブス誌に宛てた声明で、ロゴから消えたハーシェルおじさんは、「当社のレストラン店舗やメニューでは、引き続き全面的にフィーチャーされている」と説明している。(クラッカー・バレルはその後の8月26日、「ロゴを元に戻す」とXで発表した。新しいロゴが発表されて以来、同社の株価は10%以上低下していたが、26日には急騰した。)
We thank our guests for sharing your voices and love for Cracker Barrel. We said we would listen, and we have. Our new logo is going away and our “Old Timer” will remain.
— Cracker Barrel (@CrackerBarrel) August 26, 2025
At Cracker Barrel, it’s always been – and always will be – about serving up delicious food, warm… pic.twitter.com/C32QMLOeq0
クラッカー・バレルは、1960年代末に創業された。創業者は、シェル石油の代理店を経営していた人物で、レストランを併設することでガソリンの売り上げが伸びることを期待して、クラッカー・バレルを立ち上げた。いかにも米国的な創業ストーリーであり、初期の店舗では、敷地内に給油ポンプが備え付けられていたほどだ。
このレストランは、当初から郷愁の念を引き起こすことを意図してつくられてきた。ロゴや内装は、訪れた顧客に、ひなびた田舎の雑貨店をイメージさせるようなデザインが採用されてきた。
実際には、44州に店舗を持ち、貪欲にフランチャイズ展開を図る大企業ではあるものの、家族経営の店をまねたクラッカー・バレルのイメージ戦略は、功を奏してきたようだ。
皮肉なことだが、クラッカー・バレルのロゴは、創業時にはイラストはついていず、文字だけだった。ハーシェルおじさんとその脇の樽が追加されたのは、1977年のブランド刷新時のことだ。


