シャーデンフロイデが生じる人は悪い人なのか
シャーデンフロイデが生じたからといって、すぐさまひどい人間だということにはならない。下方比較をすることは残酷に思えるかもしれないが、必ずしも残酷な意図をもっているわけではない。
あなたと「他者が失敗する姿をあえて見たい」と思う人との違い
こうした反応はたいてい、無意識に生じている。それに、そんな風に感じるのは適切ではないと思い、頭からその思いを追い払おうとしたことが、あなたにもあるのではないだろうか。
そうやって自覚することや、根底にある道徳心こそ、「他者が失敗する姿をあえて見たい」と思う人とあなたとの違いだ。
しかし、他者の失敗を常に願い、他者を積極的に困った状況に追い込もうとしているのなら、自分を憂慮すべきかもしれない。
本能的に浮かんでくるそうした思いを完全に打ち消そうとするよりも、それを自覚した上で、その思いに過剰な影響力を与えないようにしよう。さもないと、「自分は少なくともあの人よりましだ」と考えて満足し、より良い人間になろうとする意欲が薄れてしまう可能性がある。
自分と他者をどうしても比較してしまう場合は?
自分と他者をどうしても比較してしまうのであれば、同じレベルの人と比較したり、上方比較をするよう、意識して変わるよう努力しよう。成長に努め、自分より「優れている」人を見本にして、何かを学び取ろう。
自分より優れた人を見ると、どうしても「自分は不十分だ」とか「十分な成果を上げていない」と感じてしまう、というなら、自分より1つか2つ上を行く人と比較してみよう。そうすれば、自分がこれからどう進歩していくのかを現実的に描けるようになる。
過去の自分と比較して、今までの道のりや進歩を確認する
過去の自分と比較して、進歩を確認するのも1つの手だ。以前の自分と比較すると、今に至るまでどれだけの道のりを歩んで来たのか、また、これからどこまで進んでいきたいのかが見えるようになる。しかし、どのようなかたちであれ、比較はもろ刃の剣であり、自分の欠点について思い悩むことになるかもしれない。
自分の存在と、「これで十分」という思いを受け入れる
何よりも健全なのは、今の自分をそのまま受け入れることだ。いっさい比較せず、目の前にある人生の旅路を、完全に自分自身のものとみなそう。自分の存在と、「これで十分」という思いを受け入れ始めると、自己破壊的な行動をしたり、他者を引きずり落としたりすることはおのずとなくなるはずだ。


