戦略上重要なパナマ運河の封鎖リスクを十分に軽減する唯一の方法は、西海岸に残る数少ない造船可能設備を早急に稼働させることである。米国の国家安全保障戦略が安全で安定した太平洋に基づくのであれば、米国は西海岸で艦艇、とりわけ消耗可能な艦艇を大量に建造するための準備を進めるべきだ。
米海軍は西海岸の造船強化に動く必要がある
本物の軍人は、太平洋でのどんな戦いも距離の管理にかかっていることを知っている。
メキシコ湾から、米海軍の西海岸の司令部があるカリフォルニア州サンディエゴまでの4500海里(1海里=約1.8km)の航路は、パナマ運河が使えなければ大幅に長くなる。南下して迂回する場合、艦艇は航行距離が1万海里も延びるだけでなく、チリ南部のホーン岬を回り、世界で最も荒れた海域のひとつを通過しなければならなくもなる。
米海軍は、こうした負担の大きい兵站に耐えられる状態にない。米南方軍(司令部・フロリダ州マイアミ)の兵站担当者は、南半球で駆逐艦や沿海域戦闘艦を支援することですら十分難しいことを知っている。次世代の自律型艦艇で構成される艦隊を管理し、南米沿いの数カ月におよぶ迂回の間に燃料補給や整備の支援を行うのは、それよりも格段に難しい任務になる。米国の洋上支援能力が衰えている現状も踏まえれば、小型艦艇群をホーン岬経由で導くのはほぼ克服不可能な兵站課題だと言っていい。
兵站面の負担を軽減し、小型艇の移動中の損耗を抑えるには、米海軍は第二次世界大戦時の戦術を参考に、自律型の小型艇をより大型の輸送艦に積んで運ぶという方法をとることができる。
第二次世界大戦中、PTボートは貨物船などで戦場に運ばれることがよくあった。ただし米海軍は当時、パナマ運河が使えても、パナマからガダルカナル沖の交戦海域までPTボートを運ぶために、大型艦船に1カ月半の輸送任務を割り当てる必要があった。
この輸送自体、危険を伴うものだった。クレーンでボートを吊り上げる際に落下させてしまうこともあれば、甲板に積まれたボートが海によって傷むこともあった。また、輸送任務にあたる貨物船自体も高価値目標になった。1943年には、PTボート6隻を載せて南太平洋のニューカレドニアのヌメアへ向かっていた貨物船スタンバック・マニラが、日本海軍の潜水艦に撃沈されている。


