創造舎が目指すのは、特定の誰かのための街ではない。だからこそ、OMACHIには大手のチェーン店が一軒もない。一つひとつの店が、店主の顔が見える個人商店だ。彼らは、新築で街並みを一新するのではなく、元々あった建物の構えや記憶を巧みに残しながら再生する。地元の人々にとって、懐かしい風景の断片が残りつつ、新しい活気が吹き込まれていく。その「ごちゃ混ぜ感」こそが、この街の懐の深さであり、本物の魅力なのだ。
さらに驚くべきは、彼らが店舗誘致だけでなく、街のインフラまで自前で整備していることだ。飲食店が増えれば、当然ゴミの問題が発生する。通常であれば行政が担うべきその役割を、彼らは空き地を利用して「ダストステーション」を設置し、自分たちで解決している。それはもはや、単なるデベロッパーの仕事ではない。街の未来に責任を持つ、「まちづくり」そのものである。
「情熱はやがて文化になる」
さて、冒頭の話に戻ろう。なぜ創造舎は、自己資本比率が3.22%という極端な低さになるまで、銀行からの借り入れを続けているのか。直近の決算書によれば、売上高は約32億円で営業利益も黒字で、事業自体は健全に成長している。もし彼らが新規投資を止め、保有する物件を売却すれば、地価も上がっているため、莫大な利益を手にすることができるだろう。しかし、山梨は「地価が上がれば、自分たちが買いいづらくなるから困る」と更なる発展に意欲的だ。彼の目的は、投資のイグジットではない。その姿勢は、創造舎のビジョンである「情熱は、やがて文化になる」という言葉に明確に示されている。
文化とは、一朝一夕に生まれるものではない。長い時間をかけて醸成され、人々の暮らしに根付いていくもの。その長く続けるための原動力こそが、経営者の心の底から湧き上がる「情熱」に他ならない。ピボットだ、イグジットだと、軸足の定まらないスタートアップのそれとは、覚悟の重みが違う。創造舎のビジネスモデルは、この「情熱」を最優先するために構築されている。山梨は「減価償却が終わったら、頑張っているお店の家賃は下げてあげたい」とまで言う。
ファンドを入れれば、投資家の顔色をうかがい、むしろ「家賃を上げろ」というプレッシャーに常に晒されるだろう。補助金を使えば、行政の意向や様々な制約に縛られる。だからこそ彼は、自由な意思決定を担保するために、銀行からの借入という最も純粋なリスクを自ら引き受けるのだ。それは、目先の利益ではなく、街と、そこに生きる人々の未来を引き受ける覚悟に他ならない。
現代の経営において、リスクヘッジは経営者の重要な能力だとされる。しかし、リスクを回避することばかりを優先するあまり、失われているものはないだろうか。ノーリスクで儲かる仕組みを自慢げに語る経営者に出会うたび、私は違和感を覚える。その安定と引き換えに、あなたは本来成し遂げたかったはずの「何か」を諦めてはいないかと。何かを成し遂げるためには、事業を通じて譲れない一線があるはずだ。
そして、その譲れない一線を守り通すためには、時に大きなリスクを取らなければならない瞬間が訪れる。それに対峙する覚悟を持たない経営は、結局のところ、誰にでもできる「軟弱な経営」でしかないのではないか。創造舎の3.22%という自己資本比率は、彼らが何を譲らず、何を守ろうとしているのかを雄弁に物語っている。それは、山梨率いる創造舎が、自らの哲学を貫くために背負った「覚悟の証」なのだ。


