すでに日本政府は中国籍の就労ビザに関しては高度人材に限る方向に切り替えているため、いまでは1990年代や2000年代前半のように、簡単な呼び寄せは難しくなっている。
それは、東北出身のガチ中華オーナーたちにとって人材獲得の悩みでもある。最近では、中国人の配膳スタッフの採用を諦めて、ベトナム人やネパール人に切り替えているオーナーもいるほどだ。
それでも、近年の比較的安価に日本の就労が可能となる「経営・管理ビザ」による海外投資移民の波に乗って来日する中国籍の飲食店オーナーが増えており、筆者は彼らのことを「“潤”店主」 と呼んでいる。彼らは飲食店を経営するために家族や親族を呼び寄せることが可能なので、かつてほどの数ではないが、新たな「呼び寄せ」も始まっている。
このように戦後80年の歴史とガチ中華の出現は決して無縁ではない。先に紹介した味坊集団の梁宝璋さんと、先日、会食する機会があった。今月上旬、筆者が編集制作を担当した『地球の歩き方 大連 瀋陽 ハルビン』(学研刊)が、コロナ禍をはさんで7年ぶりにリニューアルされ刊行されることになったので、それを報告するためだった。
同書の巻頭では中国東北料理を特集している。日本で最も店舗数の多いガチ中華が東北料理である以上、本場の味を知るべく多くの日本人にかの地に旅立ってほしいとの思いを込めた内容であることを梁さんに伝えたかったのだ。
梁宝璋さんは残留孤児2世である。黒龍江省チチハル出身で、敗戦時にその地に残された母親である残留孤児の息子として1963年に生まれている。
「もう自分のような家族の歴史の意味を知る世代も私が最後になるだろう」と梁さんは話す。確かにそうかもしれない。
筆者が制作した『地球の歩き方』は、中国東北地方の現在の姿を多数の写真を使って解説する、いわゆる旅行案内書ではあるけれど、むしろ「日本の近現代史の主要な舞台とその現在の姿を知るための入門の書」であることが裏のテーマだと考えている。
戦後80年におけるこの地域に関するリアルな理解はなかば空白状態にあったと筆者は思う。その埋め合わせを誰かがしなければならないとも。そんな話を梁さんと共有できたことは嬉しかった。


