食&酒

2025.08.06 11:45

なぜ東京に中国東北料理店が多いのか? 戦後80年とガチ中華の関係

中国東北料理のグルメといえば、敗戦後満洲から引き揚げた人たちが始めた水餃子が知られている

ガチ中華を支えてきた中国東北出身者

こうした意外性に富む東北地方の料理を日本に知らしめたのは、日本の外食シーンに貢献した人物を表彰する「外食アワード2022」 を受賞した「味坊集団」の梁宝璋さんにほかならない。

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同店だけでなく、都内のガチ中華のオーナーや店で働くスタッフの7割近くは中国の東北地方出身者だといわれている。なぜこれほど多くの「東北人」が来日し、飲食店経営の道を選ぶことになったのか。

1980年代に始まる改革開放以降、中国南方に投資が集中し、社会主義経済の優等生だった東北地方はそのお株を奪われ、発展が遅れた。その後、東北の人たちは上海などの沿海地域へ出稼ぎに行き、飲食業に携わる人たちも多かった。

実は、そうした出稼ぎの延長線上の先が日本だったというわけだ。出入国在留管理庁の在留外国人統計でも、外国人登録法が改正される直前の2011年までは中国籍の省別出身地の分類があり、日本に暮らす中国籍のうち東北3省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)出身者の割合は、当時半数近くを占める多数派だった。

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こうしたことから、日本のガチ中華をそれまで支えてきたのは主に中国の東北地方出身の人たちだと言ってもよかった。

しかし、その傾向が少し変わり始めたのは、2010年代中頃からで、中国各地から来た若い中国の人たちが飲食店を始めるようになったせいだ。その正確な地域別比率はわからないものの、21世紀に来日した新世代の存在がガチ中華を今日のように躍進、多様化させたことは間違いない。

これまで筆者は、ガチ中華を生んだのは、中国の人たちの大量出国であり、その出現は世界に共通の現象である と述べてきたが、日本における実態についても、もう少し細かく見ておきたい。

それは、ガチ中華を営むオーナー以外の構成要員、たとえば調理人や配膳スタッフのような人たちについてだ。さらに言えば、店舗の内装デザインや施工、食材の納入、メニューの制作、デリバリーサービス といった飲食店経営のあらゆる領域に関わる人材にも言えることだ。

ガチ中華のオーナーは、大まかに次のような2つの系統に分かれる。

まず筆者が「私鉄沿線系」と呼ぶ店のオーナーにみられるような、いわば「出稼ぎ」人生の流れをくむタイプ。もう1つは今日増えている留学やビジネス投資を目的に来日した高学歴で経済力のある人たちがオーナーになるタイプだ。

いずれのタイプも調理人や配膳スタッフを必要とする。実のところ、彼らの存在なくして、ガチ中華はここまで急増できなかっただろう。これらの人たちには、オーナーによって「呼び寄せ」られた人たちもいる。このような存在は、長い華僑の海外出国の歴史において、普遍的にみられたことだ。

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文=中村正人 写真=佐藤憲一

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