近頃、海外のメジャーな作品が日本でも同時に公開されることが多い。
あの「スター・ウォーズ」シリーズの第1作が、本国アメリカより1年遅れて日本で公開された(1978年)のは、今は昔の話だ。あまつさえ時差の関係などもあり、いまは日本での公開が世界で最初となることもある。
そんななか、海外よりかなり遅れて日本で公開される作品もままある。あまり集客の見込みがない作品なら、直接、配信にまわることも多いが、いわゆる高い評価を得た作品は、多少、時期は遅れたとしても、日本でも劇場で公開される。
「ストレンジ・ダーリン」は、ベストセラー作家であるスティーヴン・キングが「巧妙な傑作」と高評価した作品だ。アメリカでは2024年8月に封切られたのだが、日本でもようやく1年遅れてこの7月に劇場公開された。
監督はこの作品が長編映画2作目の「新人」。出演者にも日本で馴染みのある名前は見当たらない。それでも日本の配給会社が劇場での公開に踏み切ったのは、この作品が海外での高い評価とともに、観客の興味を引きつける「巧妙な」つくり方がされているからかもしれない。
章は3→5→1→4→2→6と進む
「ストレンジ・ダーリン」は、プロローグとエピローグに挟まれた、第1章から第6章までの全6章で構成されている。赤い衣装を纏った女性が無我夢中で走ってくるプロローグに続いて、この作品が全6章で構成されているという断り書きが入る。
ところが次に飛び込んでくるのは、第3章なのだ。最初に「全6章から成り立つ」と謳いながら、次に描かれるのは第1章ではなく第3章。ここで観る側は最初のサプライズを味わうことになる。
その第3章は、森のなかを貫く直線の道路で、真紅の車のハンドルを握って疾走する女性(ウィラ・フィッツジェラルド)と、それを厳ついピックアップトラックで追いかける男性(カイル・ガルナー)が繰り広げるカーチェイスのシーンから始まる。逃げる女性と追う男性、とはいえ、2人の関係はここでは明らかにされることはない。
男性は車を止めて銃を構え、女性の車に向けて発砲。車は被弾して横転するが、女性は森のなかに逃げ込む。命からがら男性を撒いた女性は周囲にスピーカーを張り巡らした森のなかの一軒家を見つけ、助けを求める。ここまでが第3章だ。
次に続くのが、なんと第5章。男性は一軒家を発見して、銃を携えながら乗り込んでくる。家に住んでいるのは、かつてはヒッピーで、いまは終末論に取り憑かれて暮らす老夫婦だ。男性は銃を手にしながら家を物色して、クーラーボックスに隠れていた女性を見つける。
そしてようやく次に第1章が登場する。
ここではモーテルを前にして、車中での女性と男性の会話が始まる。女性が「あなたはシリアルキラーなの?」と問えば、男性は「まさか」と答える。どうやらこの周辺の地域ではシリアルキラーが出没しているらしいのだ。
男性と女性はどうやら行きずりの関係らしく、交わされる会話はセクシャルなものへと発展していき、2人はそのままモーテルに入る。
この後、第4章、第2章、第6章と続いていき、2人の関係が明らかになっていくのだが、章が改まるごとに驚きの事実が明らかになっていく。その構成は、スティーヴン・キングも言うように実に「巧妙」で、繰り返されるサプライズとサスペンスでみるみる作品に引き込まれていく。
全6章の冒頭には、<2018年から 2020年にかけてシリアルキラーが全米を震撼させた。コロラドを皮切りにワイオミング、アイダホへと広がり、オレゴンの山奥にて終幕を迎えた。この物語は、警察や目撃者の証言などをもとに、一連の殺人事件を映画化したものである>というテロップも入る。
この事件を題材にして、まさに時系列をシャッフルしながら全6章が語られていくのだが、第3章から始まり非線形で語られるストーリーテリングは細部まで考え抜かれたものであり、まさにその作品構成は見事と言うしかない。



