司馬遼太郎も書いていた草原の香り
バイナさんとわれわれは、ダワーニ駅で待っていた運転手の車に乗り、草原に向かうことになった。しばらくは舗装された幹線道路を走っていたが、ついに車は道路を離れ、草原の轍を南に向かって走る。道中、緩やかな草原の丘を上がったり、下りたりしたが、周囲には当たり前のように馬や羊、ヤギが群れている。
ずいぶん走ったような気がするが、なかなか目的地に着かないので、一度車を降りて休憩することになった。
車を降りると、一瞬むっとした、ほの甘くさまざまな植物の臭いが入り混じったような空気の塊に包まれた。おやっ、頭がもやもやする。どういうことだろう。そのとき、これが司馬遼太郎の書いていた草原のハーブの香りではないかと思った。司馬はこう書いている。
「おどろくべきことは、大地が淡い香水をふりまいたように薫っていることだった。風はなく、天が高く、天の一角にようやく茜がさしはじめた雲が浮かんでいる。その雲まで薫っているのではないかと思えるほどに、匂いが満ちていた」(『街道をゆく5 モンゴル紀行』より)
通常のツアーでは、ホスタイ国立公園内にある観光施設のレストランで食事をしたり、乗馬を楽しんだりするそうだが、HISモンゴルの原田さんが用意してくれたのは、平たく蛇行して流れる川のそばにゲルを張っている遊牧民一家を訪ねるというものだった。
まったく予備情報を持っていなかったわれわれは、ゲルの中でしばらくステーツァイというミルク茶を飲んだりして過ごしていたのだが、バイナさんが「いよいよ始まりますよ」と言った。
ゲルを出ると、ご主人が小さな子羊を抱えて運んできた。そして、彼はいきなり子羊を仰向けにして、2本の前足をつかみ、あっさりとナイフを入れた。それは、いわゆるモンゴル式の羊の食肉処理だった。あまりに迷いなく、整然と行われたので、自分が見ているのはいったい何だったのだろうと思うほどだった。
駐モンゴル国日本大使館の公邸料理人を務め、『まんぷくモンゴル! 公邸料理人、大草原で肉を食う』(産業編集センター刊)の著書である鈴木裕子さんは同書の中で、次のように描写している。
「モンゴルの人たちは羊の命を絶つ時に地面に血を一滴も流さない。このやり方は大切な大地を汚さず、羊を一番苦しめないという。それは心臓を一突きでもなければ、首をざっくりでもなかった。
仰向けに足を掴まれた羊は、柔らかなお腹を晒し暴れない。羊の肋骨の間あたりにナイフが静かに浅く入る。それは思うよりずっと下の方だった。穴から、手を差し込み指が動脈を目指す。目当てを見つけたらプチッ。そうして命は血の流れと共に失われ、ゆっくりと静かに消える」
ゲルの周辺には、一家の親戚の子供たちがたくさんいて、川で水遊びを始めていた。思わず、その場を離れて、子供たちの無邪気な姿を見ていると、少し救われた気がした。
その後、羊は内臓を取り出され、大きな洗面器にいったん入れると、ゲルの中にある炭火のストーブの鍋で煮込まれた。この羊の内臓の煮込みを「チャンサン・ゲデス」という。内臓は傷みやすいので、すぐに火にかけてしまわないといけないそうだ。
これだけの衝撃なシーンを初めて見たせいもあり、できたての羊の内臓スープやレバーの塩焼きをご主人や奥さんに勧められたが、あまり食は進まなかった。
この話をウランバートルに戻って、あるモンゴル女性にしたら「いちばんおいしいのは、血を入れた腸のソーセージをストーブの火で焼いたものよ」と教えてくれた。
それにしても、子羊は命を奪われる瞬間にまったくといっていいほど、抗わないように見えたところが不思議で、まるでなにかの儀式を見るようだった。これほど静かに死を受け入れる動物がいるものなのか。
中国の貴州省に暮らすトン族という少数民族の撮影を何年も続けてきた、この場に同行した写真家の佐藤さんは「トン族の村で豚を食肉処理するときなんか、もう断末魔の金切り声で暴れまくるものだけどねえ」と話した。
「モンゴルには快適でモダンな草原リゾートがいくつもできているが、ホスタイ公園はそれらとは別世界。それをお見せしたかった」と原田さんはわれわれに話した。
もう1年以上前のことなのに、いまでも記憶に残る忘れられない思い出である。


